明後日に近づいた樹木葬墓地の開眼法要に向けて、準備をしております。
お経の後にお読みする回向文を書写しております。心を込めてお読みするにも書写が大切であると考えております。
明後日に近づいた樹木葬墓地の開眼法要に向けて、準備をしております。
お経の後にお読みする回向文を書写しております。心を込めてお読みするにも書写が大切であると考えております。
住宅や農業倉庫に囲まれていることもあり、「どこからお寺に入って行けばいいのかわからない。」とのお声をいただきます。
近所の電柱に、シンプルな広告を掲載することになりました。お寺を訪ねて来られる方に、迷いなくお越しいただくようになればと思います。
ポスターを貼り替えたところです。
「友達から助けられたことを思い出して、友達を助けよう。」と掲げました。小学生が下校する頃に読んでくれることを願っています。
庭にはアジサイが咲き始めました。これまで目にすることのなかった白色のサツキツツジが咲いています。
庭の樹木も助け合っているのでしょうか。
京都の妙心寺での晋山上堂式では、小倉宗俊管長は法語で、「祖師西来の意」と言う禅語を何度も使われました。
「禅宗の初祖である達磨大師が西方のインドからやって伝えた教え。」と解釈しています。
中国の趙州和尚にある僧が尋ねます。「達磨大師がインドからやってきて伝えた教えは何ですか。」と言う質問です。趙州和尚は、「この庭にある樹木のようなものだよ。」と答えました。
樹木にどういう教えが含まれているのでしょうか。樹木にはゆったりとたたずんでいます。落ち着いた雰囲気こそが、達磨大師が伝えた教えと捉えがちです。
樹木葬をお知らせしたところ、多くの皆様がお問い合わせをいただき、足をお運びくださいます。
初めてお越しになる方や、ご近所でもあまりお付き合いのなかった方や、父の葬儀以来33年ぶりにお越しくださる方など、多くの皆様とのご縁を結ぶことができます
多くの皆様への感謝と奉仕の気持ちを忘れずに生きることを「祖師西来の意」と指し示めされたのではないかと思います。
お寺へ帰るとお問い合わせの電話がかかってきました。
「お宅は桑海一清君の関係のお寺ですか。」とお尋ねがあり、「はい、父の名前です。私は息子で今の住職です。」とお答えしました。
「お宅で永代供養をお願いしようかと考えているんですよ。一清君の葬式の時に駆けつけたけど、あの時あなたは、いくつでしたか。」との質問に、「9歳でしたよ。父を思い出して、永代供養をご検討くださるのはありがたいです。」と申し上げました。
その頃に、こうして仏縁ができるなどと誰が予想したでしょうか。父が引き寄せてくれたのかもしれません。
玄玄庵 小倉宗俊老師が、臨済宗妙心寺派の管長と妙心寺の住職に就任されるにあたり、晋山式に列席させていただきました。
正しくは「晋山上堂式」と言い、臨済義玄禅師が演台に登って、弟子たちに説法した教えを継承する儀式です。
小倉老師が臨済録にある一節を読み上げられていました。そうして、臨済宗妙心寺派に属する和尚に、「よろしく頼む。」という意味が伝わってきました。
隣には、22年前の修行同期の和尚がいました。犬山市の瑞泉寺で小倉老師の講話を聴く時は、何を話しておられるのかわからず、いつも居眠りをしていました。そんな思い出を振り返りながら、儀式の空気を共有させていただきました。
斎坐(昼食)の折に、小倉老師がお越しになり、ごあいさつをくださいました。そうして同期の和尚と思い出し話と近況報告をしていました。
古くからの臨済宗の教えのもと、生かされているありがたさを感じる儀式でした。
お弔いを終えて、京都の妙心寺まで向かうところです。
鳥が「いってらっしゃい。」と見送ってくれるようです。
雲水のとき、うちのお寺へ帰って休息して、犬山市の瑞泉寺僧堂へ戻ることがありました。当時の足取りの重さを思い出しています。
大きくて丈夫な外見とは裏腹に、弱い枝を持つサルスベリです。
中日新聞の若者の詠んだ川柳を載せた「あすなろ川柳」に次の句がありました。
「サルスベリ そっとよりそう 緑の芽」というものです。
前を向いて生きるうちに、つまずくこともあります。「力を抜いて無理をしないで。」という言葉に救われたことを思い出しました。
本堂に掛かる十六羅漢の画が、いつ頃に誰によって描かれたものであるのか質問を受けます。
明治19年(1886年)3月に、当時の住職の誠應(せいおう)和尚によって描かれたものです。今の住職とは対照的に手先が器用であったことが伺えます。
この和尚の時から、桑海姓を名乗ることになったようです。曾祖父が今の檀家さんの家から弟子入りして養子縁組をして、今に至ることを知ることができるのです。
母の活けた花で「雨」と言います。
この花が雨を呼んだのか、樹木にエネルギーをもたらすように雨が降っています。
「雨は草木に平等に水分をもたらす。」と法華経にあるようです。
「雨は余計なチリやホコリ洗い流す。」と横道にそれた考えを抱いてしまいます。