大雨の中、永代供養のためにお越しくださいました。
今日お越しくださった方は、高校時代の同級生です。
お父様がお亡くなりになり、縁あってうちのお寺で永代供養をさせていただくことになりました。
23年ぶりの再会となったのは、お父様のお導きであるのかもしれません。
法要が終わると、雨が上がっていきました。
大雨の中、永代供養のためにお越しくださいました。
今日お越しくださった方は、高校時代の同級生です。
お父様がお亡くなりになり、縁あってうちのお寺で永代供養をさせていただくことになりました。
23年ぶりの再会となったのは、お父様のお導きであるのかもしれません。
法要が終わると、雨が上がっていきました。
納骨壇や永代供養墓のお問い合わせや申し込みが増えています。
心配なのが、うちのお寺の事務処理能力です。「消えた〇〇記録」のように、お預かりする霊位の記録の管理が散乱することはあってはならないことです。
クラウドに入力して、記録の管理をしています。
本堂に、古い位牌があります。写真にある3つの位牌は、祖父の3人の兄弟のものです。3人とも早く他界されたようです。お墓はお寺の中ではなく、集落墓地にあります。
3人の記録をクラウドに入力したところです。お墓をいずれはお寺の中へ移したいと考えています。
これまで光が当たることのなかった故人に、手を合わせることができるのは感慨深い思いでいます。
毎日更新するブログとは対照的に、掲示板の貼り替えは滞っていました。
「善行を積んでいれば、心を豊かにしていく。善行の積み重ねが多くのご縁をつなぐことになる。」と掲げさせていただきました。
穏やかな気候のためか、毎日のように永代供養のお問い合わせをいただきます。いつお見えになってもいいように善行を積もうとしております。
書棚を整理していたら、履歴書の写真が出てきました。
誰の写真かと思ったら、私の15年前の面相でした。右往左往していたことを思い出します。
この姿で近所の簡易郵便局へ行き、臨済宗妙心寺派の宗費を納めに行ったことを思い出しました。
受付には高齢の女性がいました。「お兄ちゃん、信用金庫の人やね。お寺の奥さんに頼まれて、納めに来たんやね。ご苦労さん。」と声をかけられました。
いろんな経験をしたものです。今になって無駄ではなかったと思います。
「私の世代は我慢して年金保険料を納めている。子どもの世代にまで納めるように言えない。」とは、15年前に国民年金保険料を徴収していたときに聞いたメッセージですが、今では同じ意見をお寺に寄せられるのです。
15年前の経験をもとに、「①檀家さんの負担を減らしていく。②先例踏襲に頼りきらない布教を進める。③お寺との関係性があってよかったと思える環境を整える。」ことを実行に移して行こうと思案しています。
本堂を修復したのは、19年前のことです。檀家さんや地域の皆さまから多くのご寄進をいただきましたが、お役に立つことはできませんでした。
異なる宗派というしがらみで、私のほうが壁を作っていたようです。
この近年、壁をなくそうと努めてきました。
今日、ご近所の方から「納骨壇を使用したい。」というお問い合わせがあり驚いております。
これまでの縁をつないで、仏さまの教えを広めることができることに感謝するばかりです。
10年ほど前、地元で法話講習会がありました。
確か「六波羅蜜」を題にお話ししていたと思います。
10分ほど話をした後、「専門語が多いね。」とか「もっと掘り下げた方がいいね。」というご意見の後、司会役の和尚は、一刀両断「全くダメ。」と言い放ちます。
しばらくして、「君はあの和尚のメンツを崩したから激怒したんだよ。先輩を立てようとしなかったのだ。」と忠告されました。
いまセクハラやパワハラなどと耳にします。被害者とされる人にも非がないとは言えませんが、根本的に「目上の人を立てる。」ことが良しとされる文化があるからでしょう。
目上の人を立てていれば、生活に困ることはない時代があったようです。今では、あてにするばかりでは将来図を描くことは難しいのです。
自己の責任で精進して、目上の人は困ったときに手を差し伸べることが、悟りに近づく六つの修行である「六波羅蜜」の実践になるのではと思います。ハラスメントは遠のいていくのではないでしょうか。
お寺に住む者は、庭の樹木のように目立ちます。
毎日のように名古屋へ通っています。この4月から赴任された職員と世間話をしていました。
「ご自宅はどこですか。」とお尋ねしました。「名古屋市内の◯◯です。」とお答えになりました。
「その付近は、私の知人が住職をされるお寺があります。◯◯寺というお寺です。」と話すと、「うちは◯◯寺の檀家ですよ。」とお答えになって、びっくりしていました。
◯◯寺さんとは、宗派が違うのですが、今のご住職は住職塾でご一緒して、ご師父には葬送文化の民俗学を教わりました。
お寺はいろんなご縁を手繰り寄せるパワーがあるようです。これまで気づかずにいたようですので
雨が上がって、庭の樹木はエネルギーを得たようです。
鐘楼の前に、バラの木があります。108本のバラの花言葉は、煩悩を起こさせるものであるようです。
煩悩とはいつも隣り合わせです。
「ピアノの弦を交換するに当たって、これまでの先人からの思いに感謝したい。」ということで、ピアノの閉眼法要のご依頼がありました。
初めてのことですが戸惑いながら、法要を勤めさせていただきました。
弦を交換した後に、お孫さんがお使いになるようです。未来へ思いをつなぐことができることに感謝しております。