佛心

朝比奈宗源老師の「佛心」という本を読んでいます。

 

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誰にも仏様のような清浄な心「佛心」が具わっている。「修行を重んじる宗派や、信仰を重んじる宗派に分かれているが、佛心に気づくというお釈迦さまからの教えを重んじることには変わりない。」ことを説かれています。

自力本願とか他力本願という分類を、歴史の教科書で学びました。しかし、自力やら他力というものの境目はない。「おすがりこともあれば、自分の力で乗り越えていくこともある。」ということを感じます。

宗派に分かれた日本仏教に共通する「佛心」を深めていく一歩となりました。

これまで年に数回しかなかった本堂での法事が、今年は何回になるのかと数えています。

昨日今日と本堂での法事が続きました。10年前は本堂が稼動していないことを悩んでいたものです。

 

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皆さまにお使いいただき、仏法の教えを広める本来の目的を果たしていきたいものです。

月の光がことのほか明るいようです。

26年ぶりに会う旧友からの、お参りの依頼がありました。思い出話をしながら、車で移動していました。

「うちの周りに高速道路ができるとは、思いもしなかったね。」と語っていました。田舎でも少しずつ街並みが変わります。月に照らされるこの風景は変わらないようです。

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臨済録

月に一度の「无名会」にて臨済録の講義を聴聞してきました。

 

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臨済禅師は、仏心は自分の中にこそあるのであり、あちこちに探し回ることをいさめておられます。

「求心止むところすなわち無事」と、「腰を据えて自分の中を見つめていれば、仏心に近づくことができる。」と説かれます。

私も数年前は、あちこちと探し回ったものです。腰を据えないことには、何も実行できません。他人の真似事に終わってしまいます。

これでいいのか不安になることがあっても、自分の中にこそ仏様のような智慧があると信じることが、臨済禅師の教えなのです。

澄みきった空をきれいな月が照らしています。

今日は33回目の父の命日です。33年前は、「父は月になるのか。お坊さんになったらわかりかもしれない。」と思ったものです。

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庭のドウダンツツジが紅葉を深めています。

明日は父の33回目の命日に当たります。

大自然の働き、故人の思い、仏様の慈悲によって、この身が突き動かされているかのようです。

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昨日今日とお墓参りや見学にお越しいただいております。資料のお求めもあります。

この盛況が一過性のものであってはいけません。どう続けて変革していくのかを考えています。

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庭の樹木は、少しずつ紅葉しています。

真夏の暑さでどうなるかと心配しましたが、持ちこたえてくれました。

樹木の強さを感じています。

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菊の花が咲き始めました。

深まる秋を感じています

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