雨の日が続きます。夕暮れ時に境内を見回すと、草が多く生えていました。
腰が軽くなったことに感謝して、草取りをしていました。

お寺の中で何をしているのか、世間にはわからないものです。
祖父や母は長年にわたって教職を勤めていたので、隣家のお婆さんは、「住職は何をしている。」と批判をされておられるようです。

「住職は住職の勤めをしている。」ということを、日頃の動きやホームページや寺報や新聞投稿などでお知らせしています。

母のお友達がお花をお持ちくださいました。
女性の目線で、お寺を明るい雰囲気に変えてくれます。


鐘楼の前には、きれいなバラの花が咲いています。

夕暮れ時は涼しくなりました。クーラーを使用しなくても過ごせます。

樹木葬墓地の水まきをしていると、日が暮れてしまいました。

知らないうちに、お花が増えています。毎日どなたかがお参りくださいます。

遠くからお客さまがお越しになり、日が暮れる時間までお引き止めしてしまいました。
元々人見知りの性格なもので、いろんなご縁をフイにしたものです。
人生の折り返し地点になり、できる限りの可能性を考えていきたいところです。

雑巾掛け

本堂の濡れ縁の雑巾掛けをしていると、いつの間にか日が暮れてしまいました。
しばらくの間、雑巾掛けをできませんでしたが、こうしてきれいになると心も落ち着きます。

愛知県犬山市まで法事に行って帰ってきたところです。
修行を始めた瑞泉寺の近くまでお伺いしました。不思議なご縁です。
今年に入ってから、何回も犬山市に出張するとは、何か引き寄せがあるのかもしれません。

「頭痛が痛い。」とは、20年ほど前にテレビ芸人がネタにしていました。
まさにいまそんな状態で、頭痛に悩んでいます。

雨が降った後は、落ち葉や草で庭が散らかっています。庭を一周して、落ち葉を掃いて草取りをしました。

やれやれと思ったところに、また頭痛が起きてきました。「一難去ってまた一難。」ですね。

日本人は世間というものに縛られています。
そんな思いに悩んでいた時に、この本に出会いました。

何か変わったことをすると、「世間がこう言う。」とか「身の丈に合ったことをすべきである。」と行為者を責めるのは、世間のしがらみの強さゆえのことです。

世間の良さもあります。困難な時の助け合いに支えられているのは、世間という仲間意識があるからでしょう。

これから世間のしがらみが弱くなっていくことでしょう。
私も世間体に縛られて、本当にしたいことが何かわからずに進むことがありましたが、世間とよく調和しながらの信念が必要ではないかと思います。

県庁

岐阜県庁まで行きました。
行政とお寺は関係なさそうに見えますが、行政の許認可に基づいてお寺は動いています。
トラブルのない関係性でありたいものです。

松の木

玄関前の松の木に害虫がついて、葉が枯れかけていました。
松の木は繊細です。常にお寺に住む者が気にかけていなくてはいけません。