今日で9月は終わりです。今月は雨が多かったのですが、最終日は快晴です。お日さまのありがたみを感じております。
伝道掲示板のポスターを貼り替えたところです。彼岸花の咲く時季に、改めて絆を大事にしようというメッセージです。
今日で9月は終わりです。今月は雨が多かったのですが、最終日は快晴です。お日さまのありがたみを感じております。
伝道掲示板のポスターを貼り替えたところです。彼岸花の咲く時季に、改めて絆を大事にしようというメッセージです。
お寺のホームページに、伽藍(がらん 建物)の紹介があります。
鐘楼の写真を、修復した後のものに差し替えたところです。
土日の午後6時にご近所のご家族が、鐘を鳴らしにきてくれます。3人きょうだいで、まだ背の届かないお子さんは、お父さんが抱っこをした状態で鳴らしてくれます。
落慶法要(落成式)はいたしませんが、鐘の音のようにご近所に馴染むことが何よりうれしいことです。
臨済宗妙心寺派には住職と檀家さんとで構成される花園会があります。昨日、ご近所の6つのお寺で構成される花園会の大会が神戸町の瑠璃光寺というお寺でありました。
ご先祖への供養の後、布教師さんの法話がありました。
今回の講師は多田曹渓和尚さまでした。10年前の京都の妙心寺の高等布教講習会のお世話になって以来の再会でした。「おかげさま」の題のもと、身近な話題を用いてわかりやすいお話しをしてくださいました。
先ほど、20キロほど離れた岐阜の霊松院というお寺までお送りしてきました。車中で、一昨年から発行している「大源寺だより」の講評をいただきました。大先輩からの熱いご意見はとても励みになりました。
多田和尚さまは、法話の中で「ふるまひをやさしくして、幽玄に心をとめよ。」と説かれました。日頃のコミュニケーションの中で、優しい行いばかりでなく、「受け手目線」の説法の大切さを教えてくださいました。
中日新聞の記事を見て、やっと取り上げてくれたかと思う反面、何を今更という気持ちにもなりました。
裕福な環境のお寺がある反面、経済的に困窮しているお寺も多くあります。困窮する理由を、お寺を支える檀家さんの世帯数の減少や後継者不足の問題に特化するのは、表面的な分析に過ぎないと思います。
先祖供養を執り行い、檀家さんからのお布施やご寄進をお願いすることは、江戸時代から継承されてきたお寺と檀家さんの関係性でした。ただその関係性に主従関係があり、いまでも残っており、檀家さんをはじめとする世間の多くの人が違和感を抱いているところがおおもとの問題ではないでしょうか。
葬儀や先祖供養を依頼するお寺のことを、一般的に「菩提寺」と言いますが、「師匠寺」と呼ぶところもあります。教え諭すことから「師匠寺」というのでしょうが、時代にそぐわない響きです。
「お寺の年中行事に必ず参加せよ。」という上からの物言いでなく「お寺の行事にぜひ参加したい。」という気持ちになっていただくことから始めたいものだと思いました。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。今日も彼岸のお中日ということで、暑さと寒さの節目となります。
伝道掲示板には、秋桜(コスモス)の動きになぞらえて、秋を迎えるメッセージにしたところです。
台風16号は温帯低気圧に変わりましたが、まだまだ曇り空が続いております。被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。
お寺のある岐阜県神戸町にも大雨洪水警報が出ておりました。境内にある枯池に雨水が溜まって、溢れ出すほどでした。まるで、豊臣秀吉が行なった「水攻め」にあっているかのようです。
通勤列車も運転見合わせが続出して、これもまた「水攻め」のようでした。
そんななか、今日中に仕上げてくれという仕事の依頼がありました。無茶な依頼と思いましたが、「雨にも負けず風にも負けず、今日中に仕上げます。」と宣言して、仕上げることができました。「追い風」やら「行雲流水」などという言葉を思い出して、プラスのエネルギーを作り出しておりました。
愛知県の木曽川沿いのお宅まで、祥月命日のお勤めに行ってきました。
木曽川を渡るときに、愛岐大橋という橋を渡りますが、先週この橋の上にカゲロウが発生して、視界不良により接触事故が起きたようです。
「祥月命日は、供養を続けることができることが幸いであるという教えです。今年も押しかけるようにお参りにきました。」とごあいさつして法要を始めました。
対岸にある各務原市は自衛隊の飛行場があります。お亡くなりになったお父さまは、戦前に軍用機のパイロットをされていたようです。対岸にある山の中に、故人の足跡をたどることになることと「彼岸」とを重ね合わせていました。
源氏物語の蜻蛉の巻に、「ありと見て 手にはとられず 見ればまた ゆくへもしらず 消えしかげろふ。」という歌があります。日頃の喧騒のなかで、軍用機のことやカゲロウのことも忘れてしまいます。彼岸の折に振り返ることができることは、ありがたいことです。
明日から彼岸の入りです。大型台風が接近しており心配しております。 運動会をしておられる小学校もあることをお聞きして、びっくりしております。「雨にも負けず風にも負けず」ですが、親御さんや先生は大変なことですね。
明日、木曽川を越えた愛知県の扶桑町のほうまで祥月命日のお勤めにお伺いします。祥月とはお亡くなりになった当月ということです。お正月と区別するために祥月と書かれたという説もありますが、子孫が絶えることなく追善供養をすることができるありがたさから、「祥月」と記されるようになった説もあります。
こちらのご主人とは、以前にお仕事をご一緒した縁で、お弔いをさせていただき、祥月のお勤めもさせていただいております。
お会いした頃は、色欲坊主などとおっしゃったものです。
彼岸の入りに、絶えることなくお勤めさせていただく不思議に感謝しております。信仰をお深めいただくことを願っております。
通り沿いにある伝道掲示板のポスターを新しくしたところです。
散歩中のおばあさんが、「いつも楽しみに見ていますよ。」とありがたいお声をかけてくださいます。
中日新聞の記事を見て思いました。「イチロー選手のことが嫌いだ。」という自動車広告があることは知りませんでしたが、よく読んでいると本当に嫌いではなく、手の届かないほどすごいという尊敬の念があるようです。
先日、名古屋の栄にある政秀寺で、河野太通老師の講話のなかで、白隠禅師が自画像にある賛というメッセージのなかに、ギョッとすることが書かれているようです。
「あらゆる仏さまに嫌われて、あらゆる悪魔からも憎まれる。」という表現で、人並み以上の努力というものが大切であると伝えているようです。
臨済宗の語録では、けなしてほめるという表現が多く使われています。「お前はバカだ。」と一般社会ではパワハラととられることも最高の褒め言葉になるのです。白隠禅師が開かれたお寺で修行された和尚さんに、「お前はバカだ。」と毎日言われたから、こうして危機感を持って過ごしているのかもしれません。