大掃除も終わり、お客様をお迎えする準備が整いました。
皆さま、今年一年お世話になりました。よいお年をお迎えください。
大掃除も終わり、お客様をお迎えする準備が整いました。
皆さま、今年一年お世話になりました。よいお年をお迎えください。
大晦日を迎えるにあたり、大掃除は大詰めです。
玄関前の松の木の手入れの最中です。
明日の除夜の鐘のご案内です。午後11時50分から開始します。
皆さまのお越しをお待ちしております。
ここ何年の間に、「寺院消滅」などという言葉をよく耳にします。私としては、「耳が痛い。」というよりは、「よくぞここまで分析が進んだ。」という感想を持っています。
うちの周りは、経済的規模を示す檀家数が100世帯に満たないお寺がほとんどです。お寺の収入だけで生計を立てていくことは難しく、昭和の時代は住職になってからも、教員や公務員との兼職をされていた和尚さんがほとんどでした。
住職になった頃、お寺だけでの生計も兼職もうまく行かずに悩んだものです。「あんたのお寺も統廃合の対象だよ。」と言われたものです。
数年前から、お寺の運営において、「檀家さんファースト」という視点が欠けていたことに気づくようになり、檀家さんや近隣の皆さまの潜在的な要望と離れたものであることが見えてきました。
今のお寺が停滞しているのは、檀家数や住職の生計が成り立たないからという要因ばかりでなく、本来の布教というものが実践できていないことも理由にあるようです。
今回拝読した本では、「田舎のお寺の未来はかなり厳しい。」という論調でした。絶望的とも読める社会的要因を分析して、いかに対応していくのかを考えていく上で、奮起する内容でもありました。
大学時代の同級生が、横浜からはるばる大掃除の手伝いにおいでくださいました。
腰を上げての雑巾がけは、よい運動になるとコメントをいただきました。
仏具に用いる新しい桶が届いたところです。
古い桶の底に、寄付された方々のお名前が書き連ねられていました。
明治時代の頃からの厚い信心が伝わってきます。
一足早く大掃除をしております。
賽銭箱を見ると、これまで気づかなかった記録を見つけました。
大正10年5月1日に、鐘楼堂が完成した折にこの賽銭箱が設置されたようです。
これまで、知っているつもりで知らなかったことが、湧き上がってきます。
「先人からの継承に生かされて、皆さまのお役に立つように。」と心の中のサンタさんが呼びかけているようです。
お寺の北面の空に、虹が出ていました。
古人は、西方に阿弥陀さまがおられて、東方に薬師さまがおられると思い慕われたようですが、北方にはどなたがいらっしゃるのでしょうか。
新幹線の車窓から富士山の写真を撮りました。
富士山も雪が増えております。
冬とは「増ゆ」が派生したという説があるようです。「春に向けて蓄える。」という「増ゆ」であるとのことです。
久しぶりに再会した友人が、増えていました。来たる春に向けて蓄えているのでしょう。
仏教詩人の坂村真民さんの詩集を購入したところです。
仏の教えを、平易な詩で表現されて、すっと心に入ってきます。
「母上よ あなたは七十の坂を越え わたくしも人生四十の齢を過ぎました。」という一節は共感するところです。
毎日顔を合わす母のありがたみが増してきます。
こんな話を聞きました。お母さんがご存命かどうかを知るために、市役所で戸籍を取って調査された方がおられました。ご存命と言うことを知りホッとされたことでしょう。
いくつになっても尽きぬ気持ちを、「自分があなた方の子供として、どんな人間になり、なにを為さねばならないか そんなことが今にして ようやく自覚されてきたのです。」という一節と重ね合わせておりました。
埼玉県新座市の平林寺で、お寺を再興された和尚さんの400年忌を記念して、写真集が作成されました。
先日、平林寺のご住職の松竹寛山老師からお送りいただきました。
じっくり拝見させていただきました。煩悩などの迷いの世界ではなく、悟りの世界へと導くものでした。
禅の世界というものの一隅しか垣間見ることのない毎日で、広い世界を俯瞰できるような写真集でした。