鐘楼の工事は、瓦を葺く段階に入りました。
雨の中、職人さんがコツコツと葺き作業をされています。
頑強な下地ができた上に、きめ細かい技が施されています。
小さなことを徹底して追求する凡事が徹底されて、末代へ続くものが仕上がっていくのです。
鐘楼の工事は、瓦を葺く段階に入りました。
雨の中、職人さんがコツコツと葺き作業をされています。
頑強な下地ができた上に、きめ細かい技が施されています。
小さなことを徹底して追求する凡事が徹底されて、末代へ続くものが仕上がっていくのです。
大源寺だより第4号に掲載する、達磨さんの像の写真を撮っております。
達磨さんの靴を脱いで、坐禅を組んでおられます。台座の靴を写し忘れてはいけません。
達磨さんは、靴を片方だけ履いてインドへ戻られたという伝説がありますが、お寺を引き締めていただくために、靴を用意しております。
供養という名のもと、檀家さんのお宅へ行き、ただお経を読むという儀礼を行うことが僧侶の勤めではありません。
そういうことを知ることができたのは、ごく最近のことです。宗派を超えたお坊さんのご縁ができたからです。
三重県の津市にある、真宗高田派の潮音寺まで行き、自死遺族の悲しみを分かち合う会に参加させていただきました。
これまで「こうあるべき。」と説いてきましたが、理屈で悲しみを抑えることなどできません。ご遺族のありのままの感情に寄り添い、今後の人生を明るいものにしていくお手伝いが必要なのです。
「年々にわが悲しみの深くして いよよ華やぐいのちなりけり。」という岡本かの子さんの歌を教えてくださいました。年ごとに悲しみは増していく。その分人間の輝きというものは増していくということなのでしょう。
「大源寺だより第4号」のゲラ刷りが届いたところです。
住職の書いた原稿の量が多過ぎて、業者さんにはお手数をおかけしました。
もう一度校正をしております。
今号から、「読者からのおたより」の欄を新設しました。
皆さまからのお声をいただき、より良いものに仕上げていきます。
禅の教えとは、自分自身のことを究明して行くことです。
自分のことをわかっているつもりでも、怒りのあまり自分を見失うことは誰にでもあることです。
心の中を暴れ回る牛を飼い慣らして、安心へと導く「十牛図」というものがあります。クルマを運転するように、自分の心を使いこなすことが大切であることを伝えてくれます。
檀家さんが百合の花をお持ちくださいました。
玄関先に活けさせていただきました。
良寛さんの歌に「花無心にして 蝶を招き 蝶無心にして 花を訪ぬ。」という歌があります。花が多くの皆さまをお招きして、お越しくださった方が、さらにお花をお持ちくださり、花が精一杯咲いているかのようです。
鐘楼の屋根の工事が進んでおります。
野地板を敷き終えて、次は瓦を載せていきます。
強固な木の骨組みによって、ゆがみのない建物が仕上がっていきます。
ひょうやあられのように降る雨のことを氷雨(ひさめ)と言います。本来は夏の季語であるようです。
氷雨の降る中で、鐘楼の工事は順調に進んでおります。
野垂木の上に野地板を敷いていくところです。その後に瓦を載せていきます。
どんよりした気候のなかでも、突き進む大工さんに感謝しております。
氷雨のなかの工事の様子は、時間がゆっくり進んでいるようで、見る者を飽きさせません。
雨の日が続くと、心身が重くなることは誰にでもあることです。
蒸し暑い毎日になると、集中力が途切れてしまいます。
禅という言葉には深い意味があるわけではありません。「無心に静かに思うこと。」にあるようです。
「人間が一つのことに一心不乱に打ち込むこと。」こそが禅の実践であるのです。
「日日是好日」という禅語があります。雨が降ろうと湿度が高くて不快になっても、毎日がすばらしい一日ととらえて、為すべき勤めを続けていくことが大切であるようです。
お寺の本堂に、なぜか弘法大師のお像がお祀りされています。
住職の母の実家が真言宗のお寺で、住職も幼い頃から高野山へお参りに行ったものです。
その際に「困ったことがあれば、弘法さんにおすがりするのじゃ。」と言われたものです。
大源寺だより第4号の原稿を書き終えたところです。行き詰まりかけたとき、弘法大師に手を合わせました。
アイデアが思い浮かび、よき友人の助けを得ることができました。その方のお父さんは、高野山の麓のご出身であられることをお聞きして、びっくりしております。まるでお導きがあったかのようです。
「仏法はるかなるにあらず。心中にしてすなわち近し。」と弘法大師が説かれたようです。おすがりして、「仏のような心は身近なところにある。」ことに気付くことが大切であるようです。