昨日はお釈迦さまのお誕生日にちなんで、街頭で告知しようという活動の準備会議に参加しました。
うちのお寺でも34年前までは、花御堂と言ってお釈迦さまをおまつりした御堂を飾っていました。
この花御堂を34年ぶりに復活させようと考えています。道行く人に甘茶をお釈迦さまにおつぎして、清らかな気持ちになっていただければと思っています。
昨日はお釈迦さまのお誕生日にちなんで、街頭で告知しようという活動の準備会議に参加しました。
うちのお寺でも34年前までは、花御堂と言ってお釈迦さまをおまつりした御堂を飾っていました。
この花御堂を34年ぶりに復活させようと考えています。道行く人に甘茶をお釈迦さまにおつぎして、清らかな気持ちになっていただければと思っています。
数年前までは稼働することの少なかった本堂が、多目的に使われるようになりました。
4月5日には、寺カフェを催すこととなり、当日の配置を考えています。
多くの人が集う場にしていきたいと思います。
ポータルサイト「まいてら」をご覧になって、岐阜県内の浄土真宗のお寺のご住職がお見えになりました。
私なりに積み重ねてきた経験をお話しさせていただきました。
お寺を運営していく上での悩みは、宗派の違いは関係のないことです。
同じ土地柄であるからこそ、お互いに理解することができました。
掲示板のポスターを貼り替えました。
「慌てずに今ここに打ち込む。」と自らへの戒めでもあります。
また、4月5日に行われる寺カフェのご案内も掲示しました。
皆さまのご来場をお待ちしています。
月に一度の法話の会の「无名会」で、臨済録の講話を聴いてきました。
臨済宗の初祖の臨済禅師が弟子たちに語ったメッセージを書き留めた語録を読み解くのですが、すぐにわかるものではありません。
今日学んだのは、臨済禅師が弟子たちに、「私の説法は何の為にあるのか。」と問う一節です。
「大地のような心が、目の前のことを優れているとか劣っているとか言って、格付けをしてしまう。」と問題提起をされます。
臨済禅師は、「私は修行を積んでいるから、心に格付けなどない。修行僧の内面も見抜いてしまう。」と語るというストーリーです。
心の中には偏見があって、物事をゆがめて見てしまうものです。その偏見をなくせば、透明な白い心で物事を見通すことができると説かれていると解釈しました。
偏見というものが真実を知ることの邪魔をする。臨済禅師は、そのことを戒められたと振り返っています。
早朝の空には、月がとどまっていました。鐘が鳴るのを待っていたかのようです。
春がやってきたことを告げるかのように、きれいな月が一面を照らしています。
暖かくなったこともあり、立て続けにお客様がお見えになりました。
穏やかになった気候に感謝しています。
うちのお寺は、ポータルサイトの「まいてら」のお仲間に入れていただいています。
まいてらの今後のあり方を語ろうと「まいてらの集い」に参加させていただきました。
インターネットで情報発信をしていますが、自己満足に陥りやすいところもあります。仏様の教えやお寺の活動をどうお伝えしていけばいいのか、掘り下げていくことが欠かせません。
樹木葬墓地に墓碑を設置しました。
開苑して8カ月経ち、新しいご縁ができてきました。
ご縁が多くなると、「この墓苑のどこに故人が眠っているのか。」という疑問が湧いてくるのは当然のことです。
そこで墓碑を設置して、「1-A 〇〇さま」と配置を明確にしておくことになりました。
白い梅が咲き始めました。
春はすぐそこまでやって来ているようです。