月に一度の法話の会の「无名会」で、臨済録の講話を聴いてきました。
臨済宗の初祖の臨済禅師が弟子たちに語ったメッセージを書き留めた語録を読み解くのですが、すぐにわかるものではありません。
今日学んだのは、臨済禅師が弟子たちに、「私の説法は何の為にあるのか。」と問う一節です。
「大地のような心が、目の前のことを優れているとか劣っているとか言って、格付けをしてしまう。」と問題提起をされます。
臨済禅師は、「私は修行を積んでいるから、心に格付けなどない。修行僧の内面も見抜いてしまう。」と語るというストーリーです。
心の中には偏見があって、物事をゆがめて見てしまうものです。その偏見をなくせば、透明な白い心で物事を見通すことができると説かれていると解釈しました。
偏見というものが真実を知ることの邪魔をする。臨済禅師は、そのことを戒められたと振り返っています。