ポスター

大源寺だより第5号に、伝道掲示板のポスターの写真を差し込むことにしました。
難しい表現になりがちな大源寺だよりが、少しはソフトになるのかもしれません。

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禅学大辞典

書庫から「禅学大辞典」というものを出してきて、調べものをしております。
11年前に買ったものの、広げたのは数回ほどです。お寺の新聞を作成するにあたって、間違いがあってはいけないと思い、手に取っております。

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大豆のいただきもの

お寺へ帰ると、玄関前に袋いっぱいの大豆が置いてありました。
ご近所さんがくださったのです。
農村地帯の温かみに感謝しております。

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松の木の撮影

大源寺だより第5号の最終校正と、提出課題をしておりました。
松の木の写真を掲載するために、何度も撮影しております。撮影にも幾度もの稽古が必要であるようです。

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第5号

大源寺だより第5号のゲラ刷りが届いたところです。
徹底された校正がされて、きれいなデザインにホッとしております。
これから何度も見直して、完成させていきます。

先日、鎌倉の円覚寺のホームページのブログ「居士林だより」を編集される和尚さんにお会いしました。「わかりやすい表現でいつもありがとうございます。」と申し上げました。
いつか、大源寺だよりもそんなコメントをいただけるように、進めてまいります。

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小雪

一昨日は、二十四節気の小雪でした。
晴れ渡る一日でしたが、遠く離れた山では雪化粧です。

早いかと思いましたが、クルマのタイヤをスタッドレスに交換に行きました。うちのお寺の付近は、道路が凍結しやすいところなのです。
遠く離れた山が、降雪が近いことを知らせてくれたかのようです。

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未来の住職塾のセミナーが、東京の世田谷区野沢の龍雲寺で行われて、参加させていただきました。

同じ臨済宗妙心寺派のお寺で行なわれることは、感慨深いものです。
10年前、こちらのお寺で、故松原哲明和尚さまの法話勉強会で学ばせていただいたご縁が、今に繋がっております。

先日知ったのですが、350年ほど前、こちらの開山さん(お寺を開かれた和尚さん)が大垣のほうへいらっしゃって、うちの開山さんから講義を受けられた記録があります。

350年前から続く縁を、未来へと繋いでいきたいと思います。何百年後に、「平成時代の大源寺の住職が、東京の龍雲寺で講義を受けた。」と語られるように継続していきます。

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古い縁

うちのお寺の本寺の慈渓寺の開山忌のお参りに行きました。開山さまというのはお寺を開かれた初代住職のことで、開山忌とは開山さまの遺徳を讃えるための法要です。

慈渓寺の開山さまは愚堂国師と言って、350年ほど前に臨済宗の教えを広められた和尚さまです。愚堂国師のお弟子さんの密雲玄密和尚が二代目の住職として継承されて、その後隠居所として、うちのお寺の大源寺を開かれました、

写真にあるのは、愚堂国師が弟子の密雲和尚に与えた書面です。細かい解読はできませんが、「お前に教えることはもう教えた。」というメッセージであると思います。
この書を感慨深く読んでお寺を後にしました。

うちのお寺へ戻り、古い書籍を読んでおりました。密雲和尚が慈渓寺の住職をしていたとき、一人の修行僧が訪れて、教えを受けていたようです。その名は節外祖貞と言います。

節外さんは、東京都世田谷区野沢にある龍雲寺というお寺を開かれた和尚さまです。偶然にも、私が明日お伺いするお寺です。10年前から2年間、法話の講習会でたびたびお伺いしていましたが、そんな歴史など知りませんでした。

今日、8年ぶりにお伺いしますが、古い縁を前日に知るとは不思議な思いです。

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朝たつ霧に

今朝の6時の鐘を鳴らす頃は、辺りは霧の一面でした。
大垣駅まで行きましたが、前方が見づらくて困りました。

「夜をこめて 朝たつ霧の ひまひまに たえだえ見ゆる 瀬田の長橋」とは藤原定家の歌です。たえだえ見える対向車に注意しておりました。

8時を過ぎると澄み渡り、皇帝ダリアがそびえるように咲いているのを見つけました。

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先日の河野太通老師の法話の会で、河野老師が住職をされる姫路市の龍門寺の「龍門寺だより」をいただきました。
無駄のない流れるような文体で、禅の教えやお寺の活動報告のことが書かれています。
文節が長くなりがちの「大源寺だより」を、今後も改良していくための、よきお手本となります。

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