鐘の音

今年の2月は1日多く、それだけ考えることも沸き起こってきます。

鐘楼のことをよく学びました。歴史ばかりでなく、建築工法のことも多く学びました。

工事が終わってからのことを考えていかなければなりません。

夜明け前から鳴らしていては、ご近所迷惑になります。鐘の音が周りの風景と馴染まなければなりません。

「涼しさや鐘をはなるる鐘の声」とは、江戸時代の俳人の与謝蕪村の句です。

過去 現在 未来の三世を貫く真実を、伝える声であってもらいたいものです。

 

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社会の中のお坊さんの役割とは

日本経済新聞の記事から引用させていただきました。

もし飛行機の中で急病人が出たとき、「お客様の中に、お医者さまはいらっしゃいませんか。」という緊急時の手助けを求めるアナウンスができるように、事前にお医者さんに登録するというシステムが始まったようです。

もし「お客様の中に、お坊さんはいらっしゃいますか。」というアナウンスが流れるとすればどんな状況かと想像しました。お弔いということも考えられますが、安心感を得るために緊急時にお呼びがかかることが望ましいのです。

現代では心の不調が起きたときに、精神科医を受診される方が多いと思います。「お坊さんに相談に行きたい」という方への安心をもたらす役割でありたいものです。

 

 

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幅広位牌

ご先祖さまからの戒名を書き連ねたお位牌を「幅広位牌(はばひろいはい)」と言います。

檀家さんのお宅の、明治時代以前から平成の世に至るまでの故人を顕彰するお位牌が納入されて、開眼法要をして本堂の位牌棚にお祀りさせていただきました。

ご親戚の方がおっしゃるには、昭和30年の頃大源寺の本堂では、子どもを集めて紙芝居をしていたようです。「今後お寺を活性化するためには、本堂で映画鑑賞会をするといいですね。」とお答えさせていただきました。

幅広位牌は、過去 現在 未来の三世にわたって、古くからの心を手繰り寄せて継承していくものでもあるのです。

 

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大源寺だより

お寺の新聞である「大源寺だより」を創刊して、第3号まで発行しております。
皆さまのご意見をお聴きすると、好評のお声がある一方で、文章が長く内容が難しいというご指摘もいただきます。

宗派を超えたお寺の新聞発表会がありました。
お寺が発行する新聞は、多種多様です。全国のお寺の新聞を拝見しながら、皆さまにお伝えするには、どこを修正していけばよいかを考えてきました。
実践して振り返り改善していくことが、永続することに欠かすことのできないことなのです。

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草萌えに

草萌えとは、早春の季語のことです。お寺の玄関の花が春の訪れを、予告しております。
「草萌えに ショパンの雨滴 うち来る」という俳句があります。春の植物が芽生える頃に、雨が降るイメージを詠まれたのでしょう。

ショパンの「雨だれ」というピアノ曲のリズムのように、しとしとと降っている光景の中にいると、スギ花粉によるストレスから解放されるのかもしれません。

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故人の足跡を残すお手伝い。

今年の書き初めは、白木のお位牌に戒名を書き入れることでした。
今日もお位牌に書き入れさせていただきました。
ご遺族に故人のお人柄をお聴きして、お人柄を示す戒名を考えて、ご遺族にこの戒名でいいのかを確認してから、自分の硯と筆を使って書き入れます。
故人の生涯を垣間見る第一歩です。この世に生きた足跡を残すことのお手伝いをするのです。

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石塔とお墓

「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。」という歌詞をお聞きになった方は多いと思います。日本のお墓という石塔には、元は故人は眠っていませんでした。お墓と石塔は異なるものなのです。
お墓というのは、お亡くなりになった方を土葬して、木柱の墓標を建てることが始まりです。火葬が一般的になってからも、石塔を建てずに、菩提寺の本山の納骨堂へ埋葬される地域もあったようです。
石塔というのは、釈迦さまが祀られている仏舎利塔を起源とします。仏さまを礼拝する建物なのです。「亡くなってホトケさまになる。」という日本独自の死後へのイメージから、各家に石塔を建てることが普及したようです。
仏舎利塔は、インドではストウーパと呼ばれています。中国では卒塔婆(そとうば)と訳されて、日本では塔婆(とうば)という札板に戒名を書き入れてご供養します。お位牌もストウーパに起因するものであるようです。
お寺の本堂も、仏舎利塔に由来する建物なのです。仏さまばかりでなく、いま生きている人にも安心をもたらす場所なのです。
大源寺では、お墓を持たないという選択をされるご家庭にに、本堂の納骨壇に埋葬して、故人の御霊に向けて供養されることを推奨して行きます。

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精神科への訪問

精神科のある病院へ訪問に行きました。
病院へ入ると、独特の雰囲気が漂っております。外部のものを寄せつけないカーテンがあるかのようです。この先どうなるかという不安というものが伝わってきました。
病院職員の方とお話しすると、「無財の七施」という、金銭に換えられない施し「布施行」が見えてきました。「和顔施(わげんせ ) にこやかな笑顔でのコミュニケーション」や「言辞施(ごんじせ) 優しい言葉でのコミュニケーション」を実践しておられました。
言葉では表しきれない「不立文字」の実践現場を見させていただきました。

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グリーフケア


大切な人やものを亡くした悲しみをグリーフと言います。お坊さんの役割は、故人の霊前でお経をあげて追善法要を行なうことが常識となっています。本来は、悲しみを分かち合い安心へともたらすべきなのです。

名古屋市熱田区にある、曹洞宗の法持寺での「グリーフケアのつどい」に住職が参加しました。衆生に安心をもたらすお釈迦さまの教えをいかに実践するかを、宗派を超えたお坊さんが集合して学びました。

 

お釈迦さまが涅槃に入られた2月15日から1週間が経過しました。お弟子さんが口伝して継承し、文字にして経典となり、現代では実践を学んでおります。

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大麦小麦 二升五合

「経陀羅尼は文字にあらず。一切衆生の本心なり。」とは、京都の東福寺開山の聖一国師のお言葉です。
昔、あるお婆さんが、「大麦小麦 二升五合。」といつもお唱えすることが健康維持の方法であったようです。
それを聞いた、近所のお寺の和尚さんが、「それは違うよ。応無所住 而生其心 (おうむしょじゅう にしょうごうしん )と言って、住むところなくして、その心を生ず。すなわち空の心だよ。」と教えたところ、お婆さんの体調は悪くなったようです。

経文には、漢訳されたときの意味も大切ですが、そのリズムも大切なのです。

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