踏まれて伸びていく。

今日は49回目の誕生日となり、皆さまからのメッセージに感謝しております。
この世に生まれたことの不思議に感謝しております。

北側入り口の掲示板を貼り替えました。私はボンボン育ちでしたが、40年前の父の死から踏まれて生きてきたものです。

踏まれたから、元気になって、東奔西走活動しています。シバザクラが時季を間違えて咲くように、老いる事を忘れて精力的すぎます。

東海道五拾三次は、善財童子が教えを求めて、53人の師を求めて行脚(あんぎゃ 教えを求めて動き回ること)に由来するようです。

私も諸国を行脚していきます。皆さまお声をおかけくださると幸いです。

法事のご依頼

東京へ行っても日帰りするのがほとんどです。
住職と母と2人体制で、私が新幹線に乗っていると法事のご依頼があるので、ゆっくりできません。
昨日は3件の法事のご依頼がありました。「東京に出て来ると法事や葬儀のご依頼があるんですよ。」と話していました。

今日も、近所の檀家のおばさんから法事のご依頼があり、検索システムから抽出して印刷してご案内する印刷文書をお渡ししました。32年前は、檀家さんの奥さんのお母さんから、大叔母を通して祖母に、「四十七回忌の案内がない。」というクレームがありました。

本堂に年忌の案内の掲示は、個人情報保護の観点から好ましくないと私は思います。昔、年金の仕事をしていて年金定期便というのをよく見ていたので、同じように檀家さんやお墓会員のお宅に配布しています。

夕方から、納骨のご依頼がありました。紙台帳の管理ならとっくに破綻するくらいの顧客管理をしているのですが、クラウド顧客管理を導入していて混乱は今のところありません。

祖母からいろんな話しを聞いて、小さなお寺には十分すぎる引き継ぎがあり、また役所勤務をして、パソコンで名前検索して電話応対していたので、こうして顧客の増加にも対処しています。

母に検索システムの操作を説明するのですが、拒否されました。自分でやるしかありません。

時流予測セミナー

船井総研の時流予測セミナーに出席してきました。
諸行無常というお釈迦さまからの教えがあるのですが、いつの時代からかお坊さんは先例を守ることが当たり前となって、先代のされたことを継承することに重きを置かれて、時代の流れに取り残されてしまうことが多くあります。

「時の流れに身を任せ」というように、時流に合わせて、お寺の守備位置を変えていくことが大切であると思います。

午後0時半から、午後5時までの長時間の講義は、大学時代よりも真面目に聴講することができました。

土地活用、本堂葬儀、身元保証、樹木葬などお寺が今後取り組む課題を緻密に講義してくださいました。

私は気分が乗ると質問をしたくなり、地元では敬遠されています。東京まで出てくると積極的な展開となり、一層張り切った気持ちになります。

うちでは、7年前から樹木葬墓地を展開していますが、今のままではマンネリしてしまうという思いが強くなってきました。
2025年の年の暮れに、来年に向けて一層気持ちが高まってきます。

熱心だねと皆さまから言われます。私がはりきるのは、己事究明であると認識しております。
私が僧堂修行に行ったのは、お寺を継ぐためであり、己事究明から離れていました。「僧堂はお寺を継ぐ学校ではなく、己事究明の道場である。」と臨済宗妙心寺派の前管長の小倉宗俊老師は喝破されました。

今から再度僧堂修行はできませんが、己事究明するために東奔西走していき、衆生の皆さまにお伝えしていきたいと思います。

火炉の前でのお弔い

朝から、岐阜市斎場へ行き、火炉の前でお弔いをしました。
こちらは何回かお立ち合いすることでも、ご遺族にとっては大切なひと時です。
一期一会の心を忘れずにお経を上げました。

帰り際に業務用スマホを操作している、同年代の葬儀社の女性スタッフに声をかけました。私「○○社ですね。」女性「いえ、△△社です。」私「ネームプレートは○○社ですね。」女性「実は○○社と△△社とかけもちで所属しています。」という驚きの回答でした。
二刀流で二重所属という、業界習慣があるようです。

その後、斎場の近くにペット墓地の看板がありました。民間企業が出てきては、お寺では太刀打ちできません。

短い間の滞在でしたが、思わぬ発見をしたものです。

第7回終活セミナー 転ばぬ先の杖

昨日までの曇り空から一転して暖かい日となりました。
午後2時から終活セミナーを開催して、多くのお客様がお越しくださいました。

横田南嶺老師を見習って、ベージュ色の法衣でお話しさせていただきました。金融機関や葬儀社も終活セミナーを開催する中、お寺で終活セミナーを行うのは、安心の毎日を過ごすようにお伝えしていくためであるとお伝えしました。

気分が乗ると長くなってしまいます。

その後、司法書士の野田啓紀先生のご講義がありました。老後に楽しい毎日を過ごしていて、骨折したことから、介護が必要となり、ご家族が預金を引き出すことができないという悲しいストーリーから始まりました。

祖母が脳梗塞から要介護状態になった24年前は、介護保険が始まった年でしたが、自宅で介護をするのが当たり前とされた時代でした。大叔母や義姉にあたる隣のお婆さんは、母と私を批判したものでした。

幸い、祖母は年金が私の給料よりもあったので、安穏な老後を過ごせました。それでも、大叔母や隣のお婆さんを味方につけて、血縁のない母や私の悪口を言っていたものです。

私がよそのお寺へ行って、うつ病になったので、「悪かったね。ごめんね。」と病床で言っていました。

お寺の付近では、3世代同居世帯が多く、自分が親の介護をして、子ども夫婦が結婚をする時に家を建ててあげたのだから、当然のように面倒を見てくれると思う方が多いようです。
和尚さんにも、お弟子さん夫婦に老後の面倒を見てくれと言って、決裂したケースがあります。

そのようにならないために、法律家などの専門家のお知恵をお借りして、転ばぬ先の杖として、法的制度を活用していくことが必要なのです。

会の最後に、母の足元がふらつくので、嫌がる母を説得して杖を購入した話しをしました。言霊信仰があり、心配事を口にすると本当に悲しいことが起きると、目をそらす傾向が日本人にはあります。
悲しいことが起きてからでは、対処できないことが多くあります。身の回りの不安なケースを分析することから始めるのが、終活であるのです。

一休さんのトンチ話し

庭掃除から戻ると、大垣ケーブルテレビで一休さんが放映されていました。
40年ほど前は、学校から帰るとよく見ていました。
トンチ話といいますが、本当にトンチ問答をしたとは思えないのが、歳をとったのを感じます。

14年前に、生活保護の仕事をしていた時、荒くれおじさんが、私に質問をしてきます。
「一休さんは本当に橋の真ん中を通ったのか?。」と言うので、まともに否定したのでは、修行の足跡を見せられません。

私は、「一休さんは酒も女性も好きだったんだ。俺も好きだ。おじさんもハマったんでしょう。」という珍妙なやり取りをしました。

おじさんは、笑って帰って行かれました。隣の上司はキョトンとしておられました。

禅のやり取りは難しいので、その背景を伝える伴走者がいないと、間違った解釈で一生を過ごしてしまうことがあります。

世間話のお客さま

昨日までの雨のち曇りの天候の後の青空は、天の恵みのように思います。
洗濯を干して、午前中は本堂でお経を上げて、お預かりしていたお骨をお返ししました。

その後、隣の檀家のおばさんが訪ねてきて、客間で世間話をしていました。

うちは敷居の低いお寺で、昔話や今後のお墓のこともお話ししました。前に行っていたお寺では、「オッ様は布教師なのに、檀家の前では説教してくれない。」とお聞きしていたので、私はうまくはないお話しをしています。説教などというと、逆に説教されてしまいます。

皆さまお気楽にお越しください。

庶民派のお寺

朝にカーテンを開けると、南側で煙が上がっていました。
火事のようで、大ごとにならないようにと思います。

本堂の正面階段の添え木が、シロアリに侵食されて、取り替え工事をお願いしています。

うちの本堂は東向きで後拝があり、正面から本堂に上がれるので、真宗大谷派のお寺を模倣したようです。先日、東本願寺をお参りした時に、阿弥陀堂と外観が類似していると思いました。

曾祖母が見栄を張って、浄財を募って小さなお寺で大きな本堂を建てたもので、20年経った昭和35年の伊勢湾台風の時は、管理が難しくなって、私が子どもの頃は朽ちていました。

今から26年前に奇跡的に修復が叶い、今の本堂の形になりました。

よく勘違いしてしまうのが、高くない身分や境遇からうまく進むと、既存のハイレベルのクラスの層と同じことをしてしまうことです。
思い出すのが、平清盛です。清盛は、既存の貴族の荘園制度に嫌気が差していた武家層に支持されたのですが、政権を取ると、貴族政権と同じことをされました。

世襲や門閥を反対と唱えてきたお坊さんが、偉くなると既存勢力と同じことをされる例もあります。

うちは建物工事はうまく進みましたが、小さいながらも皆さまの支持で運営してきたことを忘れてはいけないと思う毎日です。

お寺のブランド価値を間違えてはいけませんね。大きなお寺にいくと、1000年前からの歴史があり、格式は高いのを感じます。うちは小さなお寺なので、何でも悩みを相談できる庶民派であるべきなのです。

日頃からの目配り

朝起きると、樹木葬墓地には雪が積もっていました。
昨日スタッドレスタイヤに替えたところですが、秋の期間は短くすぐに冬がやってきました。

本堂の正面の階段の添え木を交換していただきました。古い添え木にはシロアリが侵食していました。

住職専任となり、毎日掃除をしているから、早期に発見できましたが、以前のように兼業で毎日出掛けていたら、大変なことになっていました。

日頃からの目配りが大切ですね。

般若心経の掛け軸

檀家さんのお宅には、般若心経の掛け軸が掛けられていました。
この辺りは、浄土真宗の門徒さんが多く、忌中の間は「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛ける習わしになっていますが、こちらのお宅は般若心経の掛け軸を掛ける習わしになっているようです。

「南無釈迦牟尼仏」という掛け軸も拝見しますが、「南無阿弥陀仏」に対して、近世に掛けられるようになったのではと思います。

「興祖微妙大師六百年大遠諱」とあるので、昭和52年(1977年)とあり、私が生まれた翌年に書かれたものであるようです。

大本山妙心寺で購入されて、こちらで表装されたようです。「永明義隆」という和尚さまが書かれたようですが、どなたか判明しません。

微妙大師六百五十年の遠諱法要が来年に行われる時に、こちらのお軸を拝見できるのは不思議な巡り合わせです。