長子相続の習わし

毎月、禅語録の勉強会で東京都文京区湯島の麟祥院にお参りします。

門前に、徳川三代将軍・家光の乳母として知られる春日局の像があります

歴史ドラマでは、家光は決して何でもできる人物として描かれてはいません。後継ぎの座を巡る中で、春日局は命がけで家光を支え、徳川家康に直訴してまで長子相続を守ろうとしたと伝えられています。

その姿を見ているうちに、不思議と自分自身の歩みを重ねていました。

私は子どもの頃、運動会ではいつもビリ。何をやっても器用な弟と比べられ、自分に自信が持てませんでした。

それでも住職になったのは、長子相続というお寺の伝統があったからです。

若い頃は、弟に対して意地を張ったり、素直になれなかったこともあります。今思えば、申し訳ない気持ちもあります。

ところが今では、弟が子どもたちを連れてお寺へ来てくれます。

「おじさんと遊んできなさい。」

そう言って送り出された甥たちに木魚を教えたり、一緒に笑ったりする時間が、何よりの宝物になりました。

過去は変えられません。

しかし、過去を振り返ることで、これからの家族との向き合い方は変えることができます。

歴史は、昔の出来事を学ぶだけではありません。

今を生きる自分自身を見つめ直す鏡でもあるのだと、春日局のお姿の前であらためて感じました。

柿寺 瑞雲寺

近所の瑞雲寺の施餓鬼会へ、お参りに行ってきました。

中学生の頃は、自転車に乗って瑞雲寺まで出かけたものです。今ほど夏の暑さが厳しくなかったからこそ、できたのでしょう。

まだ酒気帯び運転への意識が今ほど厳しくなかった時代には、施餓鬼の後にビールをいただき、そのまま帰ったこともありました。
今なら、とても考えられない話です。時代は大きく変わりました。

瑞雲寺は現在、空き寺となっていますが、創建は1500年代と伝わる古いお寺です。昔から「柿寺」と呼ばれてきました。

慶長5年、1600年の関ヶ原の戦い。
徳川家康は東海道を進み、熱田、清洲、岐阜を経て、赤坂宿方面へ向かいました。

その途中、瑞雲寺を訪れた家康に、当時の住職が柿を献上したと伝えられています。

柿を口にした家康は、

「渋かった、渋かった」

と言いながら、

「四分勝った、四分勝った」

と掛けて喜んだのだとか。

本当のところは分かりませんが、土地に残る昔話には、その土地の人々が歴史を身近に感じてきた温かさがあります。

この日の参拝者は、盛況だった頃の四分の一ほどになっていました。

それでも、暑い中で皆さんの読経の声はよく整い、静かな境内に響いていました。

その声は、瑞雲寺を守ってきた先人だけでなく、関ヶ原の戦いで命を落とした多くの人々にも、きっと届いたのではないでしょうか。

人の数は少なくなっても、祈りまで小さくなるわけではありません。

古いお寺に響く読経を聞きながら、歴史を受け継ぐとは、建物を残すことだけではなく、こうして手を合わせ続けることなのだと感じました。

35年前からの変遷

中学生の頃、私は学校を早退して、近所のお葬式によく出かけていました。

父を自死で亡くしたこともあり、「人の最期」とは何だろうと、自然と心が向いていたのだと思います。

しかし、周りの親世代から見れば不思議だったのでしょう。

「お父さんを亡くした中学生の坊やが、どうして他人のお葬式に行くのか。」
そんな目で見られていたことを、今でも覚えています。

あれから35年。

当時は理解されなかった行動が、今では私の原点になっています。

「桑海くんに葬儀をお願いしたい。」
「紹介を受けて来ました。」
「最期は桑海くんに送ってもらいたい。」

そんな言葉をいただく機会が、本当に増えました。

人生には、その時には理解されないことがあります。

それでも、自分が大切だと思うことを誠実に続けていれば、何十年か後に誰かの安心や信頼につながることがあるのだと、最近つくづく感じています。

35年前の中学生の私には、こんな未来は想像もできませんでした。

これからも、一人ひとりの人生に寄り添い、「ありがとう」と言っていただけるお見送りを大切にしていきたいと思います。

墓じまいが取り上げられていました。

今朝、NHK「おはよう日本」で墓じまいが特集されていました。

墓じまいの流れや費用、トラブルについて紹介されていましたが、私には「何を今さら」という印象でした。

お墓の承継が難しくなることや、管理できなくなる時代が来ることは、10年以上前から分かっていたことです。

そもそも、なぜここまで墓じまいが増えたのでしょうか。

97歳の大叔母の話が印象に残っています。

今から65年ほど前、近所でお墓を建てる家が増え、「隣に負けないように」と姑に勧められてお墓を建てる家庭が少なくなかったそうです。

高度経済成長の時代、お墓は家の象徴でもありました。

幸い、大源寺は祖父が教員との兼務で寺を守っていたため、お墓の販売を必要以上に広げることはありませんでした。それが結果的には良かったのだと思います。

8年ほど前から大源寺が取り組んできたお墓づくりのコンセプトは、**「後世に負担をかけないこと」**です。

お墓を販売して終わりではありません。

クラウドで契約や納骨を管理し、LINEや『大源寺だより』を通じて、お寺の近況を継続してお伝えしています。ご縁が途切れない仕組みを大切にしています。

一方で、お墓を次々に販売することだけを目的にすると、まるで大都市の雑居ビルのように墓地が埋め尽くされ、将来の管理や承継の問題が積み重なってしまいます。

これからのお寺や墓地に求められるのは、「いくつ売るか」ではなく、「どれだけ長く安心してお付き合いできるか」ではないでしょうか。

墓じまいが話題になる今だからこそ、お墓の本当の役割と、後世に負担を残さない供養のあり方を、改めて考えていきたいと思います。

年金制度への不安の相談

お寺に相談にお越しになる方の中には、

「年金収入だけでは生活していけない」

と、将来への不安を抱えておられる方が少なくありません。

物価も上がり、医療費や介護費、住まいの維持費などを考えると、年金だけで安心して暮らしていくのは、決して簡単なことではないと思います。

それでも、その方の心には、20年ほど前に先達から聞いた、

「年金があれば、安心して生活していける」

という言葉が、今も強く残っているようでした。

その言葉を信じて歩んできたからこそ、現実との違いを受け入れることが難しいのでしょう。

昔は正しいと思われていたことでも、時代や社会の状況が変われば、そのまま当てはまらなくなることがあります。しかし、人の心は、制度や物価のように簡単には切り替わりません。

相談の場で大切なのは、

「その考え方は間違っています」

と否定することではなく、なぜその言葉を信じ続けてきたのか、その背景や思いを丁寧に聴くことだと感じます。

お寺だけで生活の問題を解決することはできません。それでも、不安を言葉にしていただき、必要に応じて行政や福祉の窓口へつなぐことはできます。

先達の言葉を大切にしながらも、今の現実に合った安心の形を、一緒に探していく。

それも、これからのお寺に求められる役割の一つなのかもしれません。

終活の現実

プリエンド協会の定例会で、行政書士・西川先生の「終活の現実と法務」を拝聴しました。

ご自身の親御さんの介護と看取りを経験されたからこその、実感のこもったお話でした。

特に印象に残ったのは、ケアマネジャーによって持っている情報量に差があり、知らなければ選択肢そのものに気づけないという現実です。

また、嚥下機能は言語聴覚士による訓練で回復する可能性があること、医師は安全を第一に判断する立場だからこそ、医療・介護のさまざまな専門職から話を聞くことの大切さも学びました。

そして何より心に残ったのは、

「終活の問題は、法律ではなく感情である。」

という先生のお言葉です。

家族だからこそ感情が絡み、法律だけでは解決できない問題があります。だからこそ、行政書士、医療・介護職、そして寺院など、それぞれの専門職が連携する「終活はチーム戦」なのだと感じました。

終活とは、亡くなる準備ではなく、自分も家族も安心して生きるための準備なのでしょう。

実は午前中、私は母の病院への送迎をしていました。決して運転は得意ではありませんが、母の余生を少しでも穏やかに、安心して過ごしてもらいたいという思いがあります。

終活もまた、損得で考えるものではなく、大切な人とともに幸せな時間を過ごすための営みなのだと思います。

かつては「なるようになる」と言えた時代もあったのかもしれません。しかし、人生の選択肢が多様化した今は、正しい情報を知り、自分らしい選択を重ねていくことが大切です。

多くの学びと気づきをいただいた講演会でした。

サルスベリ

庭のサルスベリが、今年も鮮やかな花を咲かせました。

子どもの頃、祖母はこの木を「ヒャクジッコウ」と呼んでいました。長い間そういう名前なのだと思っていましたが、最近になって「百日紅」と書くことを知りました。

百日もの間、次々と花を咲かせ続けることから、この美しい字が当てられたそうです。

この木は、一度大きく折れかけたことがあります。それでも枯れることなく、幹をねじりながら力強く立ち直り、今年も見事な花を咲かせています。

その姿を眺めていると、どこか大源寺と重なります。

かつて廃寺寸前まで追い込まれた大源寺も、多くの方々とのご縁に支えられ、少しずつ息を吹き返してきました。

傷を負ったからこそ、根を深く張り、以前よりも強く生きることができる。

百日紅は、そんなことを静かに教えてくれているように感じます。

毎年変わらず咲く花ではありますが、今年はいつも以上に、その生命力が心に染みました。

大源寺だより最新号

大源寺だよりの最新号が、無事に刷り上がってきました。

創刊したのは、今から12年前のことです。

当時は勤務していた区役所の若い職員に原稿を見てもらい、完成した寺報を同僚にも渡していました。今から振り返れば、なかなかの公私混同です。受け取る側によっては、「職場で宗教勧誘をされた」と言われても仕方がなかったかもしれません。

それでも細々と発行を続けてきました。

今では、その後にご縁をいただいた納骨堂、樹木葬、永代供養墓の会員さんを中心に配布しています。

最初から明確な将来像があったわけではありません。けれども12年間続けてきた寺報が、新しくご縁のできた皆さまと仏さまの教えを結ぶ、ささやかな土台になっていることを思うと、不思議なものです。

難しい専門用語を並べ、立派な仏教の話をしても、なかなか人の心には届きません。

まずは季節のこと、日々の暮らしのこと、仕事や家族のこと。そんな身近な世間話から始めてこそ、仏さまの教えも少しずつ伝わっていくのだと思います。

今日、大阪市で乗ったタクシーの運転手さんは、80歳でした。

その方が、「運転がうまいだけでは、この仕事はできません。世間話ができなくてはね」

と話しておられました。

確かにその通りです。

お寺も、読経や法話が上手であるだけでは、人とのご縁は深まりません。何気ない会話の中で相手の思いを聞き、安心して話していただける関係をつくることが大切です。

大源寺だよりも、仏教を一方的に教えるものではなく、まずは皆さまの暮らしのそばに置いていただける便りでありたいと思います。

世間話の先に、仏さまの教えがある。

これからも気負わず、飾らず、一号ずつ発行を重ねてまいります。

子供の頃のトラウマ

仏教会の集まりで他宗派のご住職方と懇談していると、

「子どもの頃から法衣を着て、お経をあげていました。」

という話になることがあります。

この地域では、寺に生まれた子どもが自然に法要へ参加し、読経を覚えていくことは珍しいことではなかったようです。

私も幼い頃から法衣を着て、お経をあげていました。(写真はその頃のものです。)

しかし、大人になって振り返ると、「良い思い出ばかりだったか」と聞かれれば、そうでもありません。

学校では、
「お寺は税金を払わなくていいんでしょう。」
と言われたこともありました。

実際には固定資産税など一部の非課税措置があるだけで、それ以外にも様々な負担があります。当時は説明しても理解してもらえず、複雑な気持ちになったことを覚えています。

また、お経の読み方や本堂の荘厳(飾り方)は、お寺ごとに少しずつ違います。

子どもの頃に身についた読み癖や作法は、自分では当たり前になっていますから、僧堂へ入って初めて「そのままでは通用しない」と厳しく指摘されることもあります。

矯正するには、並大抵ではない努力が必要でした。

以前、前の管長老師が、

「寺に生まれていても、僧堂生活に必要な資質が備わっていないのは、お父さんの責任でもある。」

という趣旨のお話をされたことがありました。

確かに、代々専業で寺を守り、日々の作法を丁寧に教えられる環境であれば身につくことも多いでしょう。

しかし現実には、兼業で寺を守りながら生活を支えている寺院も少なくありません。その中で十分な指導を続けることは、決して容易なことではないと思います。

だからこそ最後は、本人の自覚に尽きるのでしょう。

僧堂は、僧侶としての「駆け出しの行儀見習い」であり、宗教的な素養を身につける大切な場所です。

しかし、僧堂での修行だけで、お寺を守り、地域に必要とされる住職になれるわけではありません。

時代の変化や檀信徒の声、地域社会からの厳しい意見にも耳を傾け、自分自身を少しずつアップデートしていくことが欠かせないのだと思います。

親や環境のせいにしているうちは、人はなかなか変われません。

私自身も、これからも学び続け、地域に必要とされる住職でありたいと思っています。

火葬場でのやりとり

大阪市の火葬場で、浄土真宗本願寺派のご住職お二人にお会いしました。
少しお話しする機会があり、
「今年一月に西本願寺の報恩講へお参りしました。音楽法話での正信偈の唱和は、本当に圧巻でした」
とお伝えしました。
宗派は違っても、お経の声や法要の空気に触れることで、心に残るものがあります。
火炉の前では、重誓偈をお唱えになっていたように思います。静かな声で丁寧にお勤めされる姿が印象的でした。
お勤めを終えたあと、お二人は自転車でお帰りになりました。
最後にご挨拶を交わし、その飾らないお姿にも、どこか親しみを感じました。
葬儀や火葬場という場所では、宗派を超えて僧侶同士が出会うことがあります。ほんの短い会話であっても、それぞれの勤め方や姿勢から学ばせていただくものがあります。
今日もまた、ありがたいご縁をいただきました。