天候の乱れがおさまりましたが、残暑が戻るという何とも過ごしにくい気候です。
伝道掲示板のポスターを貼り替えました。
気圧の変化に負けず、花のように精一杯に過ごしていきたいものです。
天候の乱れがおさまりましたが、残暑が戻るという何とも過ごしにくい気候です。
伝道掲示板のポスターを貼り替えました。
気圧の変化に負けず、花のように精一杯に過ごしていきたいものです。
台風の被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。
岐阜県は台風の暴風域に入らないですが、予定より早くお寺へ戻り雨戸を全部閉めました。それほど心配症なのです。
禅語に「非風非幡(ひふうひばん)」という禅語があります。
中国の唐の時代、二人の僧が口論をしています。「風が動くのだ。」「いや幡が動くのだ。」と言い争っていました。
その光景を見た六祖慧能禅師は、「風が動くのでもなく幡が動くのでもなく、あなたがたの心が動いているのだよ。」と喝破します。
風が吹いているのではなく、心配性という心だけが動いております。
本棚を整理しております。いらないものは、ブックオフへ持って行きますが、仏教書は捨てることができません。
10年前に、妙心寺での高等布教講習会へ行く前に買い漁ってお読みした、故松原哲明師の本です。
法話で何を話していいのかわからず、参考書として松原師のたくさん持って行きました。
オロオロしながら、学びが多かったことを思い出します。
大源寺の紋は、九曜紋です。
江戸時代の創建時にお世話になった、大垣藩の戸田家の家紋からいただいたものです。
水戸黄門が諸国を漫遊したという痛快なお話しがあります。漫遊記などは作り話ですが、葵の御紋はそれほど威厳あるものだったのでしょう。
お付きの助さんのモデルとなった佐々木助三郎こと佐々宗醇(さっさ むねあつ)は、もとは京都の妙心寺で修行していたお坊さんだったようです。ご老公こと徳川光圀に見出されて、お坊さんをやめて水戸藩にお勤めしていたようです。
檀家さんのお宅にある集合写真は昭和初期の頃のものですが、確かに九曜紋の幕が使用されています。
古くからの歴史を継承する九曜紋です。
鐘楼前の外灯が取り付けられて、鐘楼修復工事が完了しました。
皆さまのおかげで無事に終わりました。感謝申し上げます。
ご近所の皆さまには、土日も工事を続行してご迷惑をおかけしました。
これから次の100年に向けて、雨にも風にも揺れにも負けず、時を刻んで行きたいという願いでおります。
住職の大叔父にあたる方の葬儀に参列してきました。
10時からの葬儀からお骨上げのお勤めまで、菩提寺のご住職とお参りさせていただきました。精進落としのとき、喪主の息子さんに、昔アポなし訪問をして、故人から自転車をお借りした思い出話をしておりました。
「郷に入りては郷に従え。」とご近所や親戚で宗派の異なる家では、菩提寺のご住職に合わせて、その宗派のお経を唱和しております。今回は浄土真宗のお勤めでした。
お勤めの最後に、蓮如上人の御文の「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。」とのくだりをお聴きしました。仏さまの光を受けて、遺された親族がいかに生きていくのかという蓮如上人の教えが伝わってきました。
お寺の庫裡は、昔の農家の作りということもあり、どこからともなくコオロギが入ってきました。
止まることなく鳴き声が響きわたっております。
残暑きびしい毎日ですが、秋の訪れを知らせる「虫の知らせ」でしょうか。
コオロギの声をお聴きください。
住職は大叔父の臨終に立ち会っておりました。
僧侶として儀礼を行なうことは慣れていても、生死の境に立ち会うことは辛いものです。
病院の待合室に、相田みつをさんの詩がありました。
何をすることができなくても、辛くて苦しくて泣きたい思いを、そのまま受け止めることが大切であるようです。
装いを新たにした鐘楼は、お寺の境内ばかりでなくご近所の風景に馴染んでおります。
目立とうとするのではなく、調和を大切にする仏さまの教えを象徴するかのようです。
住職も次をあせらず、「一休み」また「一寛ぎ(ひとくつろぎ)」とのんびりしております。