お経を声に出して読むようになったのは、10歳の時です。
何もわからず、お経を読んでいると、高野山大学大学院を卒業した叔父が、「かずひろよ。世尊偈(観音経の後半)は、お釈迦さまの詩なんだよ。」と教えてくれました。

何年か経って、この解釈は若干誤認があることがわかりましたが、親族にお坊さんがいて、「コイツは動きが悪くて苦労するな。」と思っても励まし支えてくれる親族がいたから、踏み止まって住職になれたものです。

この世はいろいろあっても、因縁で成り立っているものです。大事にしていきたいものです。

横浜から大学時代の同級生がお越しくださいました。
私に傾聴する能力やカウンセリングスキルはあまりないのですが、30年間、いろんな苦節があった私に激励してくれた友に少しでもお役に立てればと、お話しを聴いておりました。

「余計なこだわりをなくしていけば、心は軽くなる。」と老師さんのマネをしてお話ししていましたが、どれだけお役に立てたかわかりません。
ただこの友情は、一生途切れることはありません。

大垣別院

西濃仏教会の会合で、真宗大谷派大垣別院にお参りさせていただきました。
6人ほどの参加で、30分ほどで終わりました。
3回目の参加となり、顔馴染みになったご住職とご挨拶していました。

この地方は、真宗大谷派のお寺が全寺院の7割を占めます。
この地方の臨済宗のお寺は、どこか真宗のお寺のやり方を模倣しているところがあり、うちのお寺も永代経を行い、おけぞく(お餅)を配って町内に配っていました。本堂では、お仏飯の器で仏様の前にお供えして、本尊さまに向かって右側の内陣で法事のお経を上げていました。

修行道場へ行くと、どこか違うと思いましたが、20歳そこそこの若造にわかるわけがなく、住職になると、外で学んだことを取り入れたい私と、古くからの伝統を守りたい祖母と衝突しました。

12年前に住職塾に入ってから、他宗派のご住職とお話しして、荘厳や作法の違いを学んで、うちの独特な荘厳が成り立った経緯がわかりました。

私などは修行が短いのですが、それでも修行をしたと周りに尊大な態度を取ったこともありますが、日頃から他宗派のご住職と交流しておけば、視野が広がってくるようです。

夕暮れ時に樹木葬墓地へ行き、しおれたお花を下げて、草を取っていました。
キリシマツツジが開花して、楓が青々としています。

30年前に東京で学生生活を始めた時、緑が恋しくなって日比谷公園によく行っていました。

そんな思いから、緑に囲まれたお墓を作りたいという思い、樹木葬墓地ができました。四季を感じる空間になりました。

学生の頃は、インターネットが普及していなくて、東京にいて岐阜県の様子を知ることはできませんでしたが、今では瞬時にお知らせできます。

今日はZOHOというシステムに接続するのに手間取りましたが、作業効率の高くない私でも速やかに情報を受け取って行動できる時代になってきました。

樹木葬墓地の樹木が青々としてきました。
この間まで桜が咲いていたのに、この早さには50歳近くなっても新鮮な思いがします。

お墓参りのお客さまが多くお越しになりました。
ご挨拶に出ていくと、ご縁が増えていくことに驚いておられました。

このお宅は、代々臨済宗を信仰されるお家で、ご縁があってうちで供養させていただくことになりました。

大源寺だよりと住職インタビューをお渡しして、今後もっとご縁を深めていくようにご案内しました。

三島市の龍澤寺の中川宋淵老師は、「生きてこの 青葉若葉の この光」と詠まれました。青葉若葉が萌えてくる頃に、無事に歳を重ねてご縁が深まっていくことに感謝しております。

大法寺 終活セミナー

お世話になっている長谷雄 蓮華上人が多くの信者さんを集められる愛知県愛西市の大法寺までお邪魔させていただきました。

今日は月に一度の終活セミナーが開催されて、会場いっぱいに多くの信者さんが集まっておられました。

長谷雄住職の法話から始まりました。長谷雄住職のお話しは、専門用語が少なく、誰もが惹きつけられていました。聴衆が何を知りたいのかよく把握しておられて、相手の心にスッと入っていくお話しでした。

講師は弁護士の大井先生で、遺産相続における遺留分のことを講義してくださいました。遺留分というと、学生時代に少し勉強して、試験にここが出るという一夜漬けの理解でしたが、住職になって何年も経っての勉強の方が、必死になっています。

最後に竹内院代のお話しで、お亡くなりになってからお葬式までの流れを、宗教的意義を前提にわかりやすく説明してくださいました。途中、私も発言するということもあり、気が抜けませんでした。

終わってから、ほんのちょっと後片付けをお手伝いしていると、アンケートを私に渡されるお客さまがおられました。大法寺のスタッフに成り切って回収していました。

本堂にお参りに行くと、こちらの檀家さんが信心深くご本尊に手を合わせておられました。般若心経を上げておられて、こちらの布教はきめ細かく行き渡っていて、ご住職や院代が慕われているのを感じました。
お墓にお参りに行くと、樹木が青々としていました。今日のセミナーのお客さまが見学しておられました。

こちらのお寺は接遇が丁寧ですね。うちの方では、「あのお寺は腰が低そうに見えて、実は上からモノを言う。」という声を聞きます。うちもそう言われているかもしれません。
また、私が修行したお寺では、大きなお寺のご住職には深々とお辞儀をして、受付は先に通されて、私のような小さなお寺の住職には、ろくにあいさつもせず、受付も後回しで、お金を持って行ったら、「忙しいから後にしてください。」と言われたこともありました。

誰にでも優しい笑顔と言葉で接して、私のようなものでも惜しみなくご指導してくださる、長谷雄ご住職と竹内院代のもとに多くの信者さんが集まって来られる光景を見て、少しでも見習って、うちにも多くの信者さんが集まって、安心を届けられるお寺にしていきたいです。
このご縁に感謝しております。

永代供養墓の勉強会に参加のため、姫路まで来ました。
姫路に来たのは、私が姫路城を見たいと言って、母や弟と一緒に36年前に来て以来です。当時はお母さんと歩くと笑われると、母や弟と離れて、姫路城から姫路駅まで歩いたものです。

36年経って、ご一緒した他の宗派のご住職にご挨拶をすると、河野太通老師のご威光を感じました。

河野太通老師は、姫路市では他の宗派のご住職からも尊敬を集めておられることを実感しました。私も10年ほど前まで、名古屋市の政秀寺で法話を聴聞していたことをお話ししていました。

永代供養墓というと、経営の苦しいお寺でもすぐに集客できる即効薬のように思われますが、なかなか思い通りにいかないものです。

お墓を購入してくださった後でご縁を深めていかないと、地主の存在にとどまってしまいます。その後、いかにしてご縁を深めていくかが、永代供養墓を造成してよかったと思える分水嶺になると再認識しました。

その後の懇親会で、違う宗派のご住職と語って、これまでの僧侶人生を振り返ることができました。9歳の時の父の自死、半年後の祖父の老衰の死で、私が法事や近所のお家の葬儀に参列しました。
それで、うまく行くかと思い、修行に行ったら、「気が利かない。動きが遅い。」と言われて批判されました。そして、20歳で住職になって、24歳で晋山式をして、「金持ちの家の娘を嫁にもらって食わしてもらえばいい。」と言われて、30歳で布教講習会に行った時は、「お前は、修行年数が短いからダメだ。」と批判されるという、散々な僧侶人生でした。

その後、批判した人が、「修行1年でも、住職になれます。」とプレスリリースしたり、血縁者に禅譲したりと、まあ強い者のいうことは、「上座の者が白を黒と言えば、下座の者も黒と言え。」という前近代の伝統が続いていました。

そんな理不尽を感じていたところに、12年前の住職塾に始まる宗派を超えた集まりに参加して、そんなことにとらわれず、もっと大きな視点で布教をしていくべきだと思いました。

今までの檀家制度は、いずれ消滅していくわけで、それに変わって、お寺がいかに新しいご縁の信者さんに法を伝えて信仰を深めていくかが大切だと思いました。

浄土真宗のご住職の講義を聴いて、このように教化していくべきだと思いました。昔、鎌倉の円覚寺の朝比奈宗源老師が、真宗高田派の村田静照和上に、法話の教えを請うたことを思い出し、私が、真宗高田派の村上英俊和上に法話をお願いしていることに重ね合わせていました。

いろんな宗派のご住職や業者さんとのご縁があって、修行人生が進んでいくのですね。若い頃は、お葬式の脇僧に使ってもらえないとビクビクしていたものですが、小さなことに執着していたものと反省しています。

祖母の思い出

夕暮れ時に草取りをしていると、竹蓑いっぱいに草がたまっていきました。草が生えるのは早いものです。

日が暮れてから、大叔母からいただいた花を祖母と曾祖母の墓前に手向けてきました。


祖母が言うには、曾祖母は法話会の時も居眠りをしていたようで、私の若い頃によく似ています。
祖母が昭和15年に嫁いで来た時、住職である祖父が上座で、お客さまが下座に座っておかしいなと思ったそうですが、私と一緒に犬山の瑞泉寺に行って老師さまにお会いした時、老師さまが上座で、何の由来かわかったようです。

その後、住職になってから、私が上座で、檀家総代さんが下座に座ったことを強く叱責しました。

お寺はどうしても、上からものを言うものです。うちのような小さなお寺でも、祖父は東大出のプライドで、老師さまのように立ててもらって当然と思っていたようです。

今日の横田南嶺老師の管長日記で、「お寺はサービス業の側面もある。」とおっしゃっていました。世の中のトレンドというものに流されるのはいけないが、お寺は仏法をわかりやすく説いて、安心をもたらしていくサービスを届けていく必要があると感じました。

祖母や曾祖母にお寺の伝統を安売りするなと言われそうですが、皆さまにわかりやすく説いていく必要を感じました。

大叔母の訪問

終活セミナーを終えてお客さまをお見送りしていると、杖をついたお婆さんが入って来られました。
どなたかと思い見に行くと、96歳になる大叔母でした。
2ヶ月前に、法事の前日に沈香を求めに仏壇屋さんに入っていき、その中にいた私が、「うちにいっぱい在庫があるから持って行くよ。」と行って、お寺に残っていた沈香と線香をお持ちしたのですが、そのお礼ということでお花をお持ちくださいました。

細々と年金生活を送る大叔母にお持ちいただくのは、心苦しいのですが、ありがたくいただき、「おばあちゃんの墓前に手向けるよ。」とお伝えしました。

父は養子で、大叔母とは血縁関係はなく、祖父が東大出の教員で、「一寛くんは定職につかず、本当に頼りない。それで家を建てるというから、(お寺の隣りに住む)大叔母の義姉は、無職無収入で無謀なことをすると、お寺の隣り近所はみんな笑っている。」と4年前は言っていたものです。事実誤認です。

「桑海くん。若くして住職になると、いろいろ言われるものだよ。」と松竹寛山老師が諭してくださいました。いちいちカッカすることはなく、こんなものだと笑い飛ばす胆力が必要であるようです。

時が過ぎれば、みんなうちに立ち寄ってくださるわけですから、地道に仏法を伝えていくに越したことはありません。

大雨が降っていたのですが、「雨降って地固まる。」と次第に土台が固まっていくようです。
「地面の砂利は、前あった芝生を全部剥がして入れたんだよ。ぬかるみが多くて大変だったよ。」と話してお見送りをしました。

終活セミナー

朝から大雨が降って、お客さまがお越しくださるか心配していましたが、多くの方が足を運んでくださり、終活セミナーを開催することができました。

今回のテーマは、「相続税」でした。相続税というと、お金持ちにお宅のお話しのように思えますが、一般の家庭にもじわじわと生じてくる問題です。

6年前にBNIというビジネスグループでご縁のできた角田信さんが、わかりやすくお話しくださいました。
今まで出ることのなかった質問が次々と出て大いに盛り上がりました。皆さまに実りがあったようで、充実感に浸っています。

角田さんのお話しの前座に、終活法話として私がお話ししました。スライドを作成して張り切って話したのですが、反応はイマイチで、後ろから母から「もっと声を出せ。」と指示が飛んで来ました。

何事も数を重ねていかないと充実していきませんから、次回に向けて法話を練習していきます。

角田さんと岡橋さんと、次回の日程とテーマを決めて、解散しました。皆さまのご協力があって、お寺が社会に貢献していくことができます。