習字教室

午前中はお習字でした。
役所勤め時代はさほど指摘されることもなかった私の字ですが、今では「かわいい字ね。」と冷やかされることが多々あります。

身だしなみを整えるように習字教室に通っています。
先生は、高校時代の書道の先生です。33年前は難解で理解できず、下手すぎて同級生に笑われていたのですが、ようやく先生の思いを理解できるようになりました。

33年後は、後世に遺す墨蹟を作成したいですね。あと草書の遺言書は法的に有効かと法律家の先生にお尋ねしたいと思います。

終活セミナー

来週14日土曜日に開催される終活セミナーのことを、中日新聞に掲載してくださいました。
皆さまのお越しをお待ちしております。

啓蟄の日の雑巾掛け

次の土日は本堂での法事が続きます。花粉や黄砂などで濡れ縁が汚れているので、雑巾掛けをしました。
雑巾の色が緑色になっていたりして、花粉や黄砂が積もっているのがわかりました。
若い頃のように、腰を上げての雑巾掛けは続きませんが、根気だけは続きます。きれいになって、靴下が汚れないと思うのですが、また強風が吹くとどうなることかと思います。

二十四節気の啓蟄にあたり、地中にいる動植物がにょきにょきと顔を出してくるようです。また私のいろんな思いが湧き出してくるようで、自分の心の雑巾掛けも必要ですね。

大垣市民病院

大垣市民病院まで、母を車で送ってきました。
こちらは、周辺人口35万人の西濃地方のメッカいや大本山と言っても過言でないほど、安心を求める方が多くお越しになります。

この辺りは、国公立学校や公立病院への信頼度が圧倒的に高いのが、全国でも特徴的ではないでしょうか。

私は私立高校、私立大学を出たから、親不孝で、公立高校、国立大学を出た弟は親孝行で優秀とみなされます。
宗門大学を卒業したご住職方の間でも、公立進学高校を卒業されたことを自慢される和尚さまもいらっしゃるのです。

祖母は、旧制公立女学校を卒業したことを鼻にかけていたのもあり、名古屋大学医学部卒業の先生が多い大垣市民病院を、かかりつけの主治医として慕っていたものです。

私は名古屋の行政機関に勤務していたことがあり、公立病院への一辺倒な信頼はいかがなものかと思っていました。

やがて、接遇のきっちりした病院を選んで通うようにしています。

お寺はどの基準で選ばれるでしょうか。一昔前は、お父さんが公立学校の校長で、ご住職は公務員か教員で跡取り息子がいらっしゃるお寺は盤石とされました。

人にもよりますが、今ではホームページがあって、住職の名前と顔とメッセージが伝わり、金銭の透明性のあるお寺に、新しいご縁が増えていくようです。

接遇や電話応対を、私は誰からも教わったことがありませんが、上からの物言いのならないように気をつけていきたいところです。

弱者が強者にねじ伏せられないように

「桑海さんはお寺をどのようにしていきたいですか?」と聞かれます。「弱者が強者の理屈で、正義をねじ曲げられないように、仏教の教えを伝える場にしていきたいです。」とお答えします。
子どもの頃から、父や祖父の葬儀や法事の日程は強者の理屈で決められて、「茶湯器がない。」「ご飯が硬い」などとクレームがありました。檀家さんは、高いお布施で悩んだことがあると最近聞かされました。

20年程前は、法話のことで批判されて心の不調が起きたこともあります。

今では、中東で不穏な動きがありますが、強者の理屈で動いているようです。

そんな弱者が泣きを見るような社会を変えていきたいのです。
そう思っていたところに、日経新聞の私の履歴書に、無実なのに逮捕された村木厚子さんのコラムがありました。ゆっくり読み進めていきたいと思います。

私が強者になることはありませんが、強者になったと錯覚して、ねじ伏せることのないように気を付けていきたいです。

東京へ行って禅語録の講義を聴聞して、月に2人の老師のお話しをお聴きするのは、古い価値観でいわばマインドコントロールされた頭や心を、清浄心へとしていきたいと思いがあるからです。

元上司への手紙

1月に法友の藤村さんのお寺の報恩講にお参りした折に、ご門徒さんの中に、23年前に旧社会保険事務所の元所長の奥さまがいらっしゃって、ご挨拶をして名刺をお渡ししました。
数日後に、お手紙をいただきましたが、なかなか返信ができずにいました。
やっとのこと書き上げました。
「所長さんの訓示を聴聞して、いまの大源寺だよりやブログを書き進めて、法話をしようと努力しています。説教をされていた身が、いまこうして説教をしています。」と書いて、大源寺だよりを同封しました。

そう言えば、私がまだ若かったので、当時の所長に問答をしかけました。「これから少子高齢化が進んで、保険料を払う人が減るのは明白です。そうすると、「支給開始年齢を保証するなら、保険料を払う。」とか、「そのうち税方式になるから、保険料を払っても払い損になるから、保険料を払わない。」という人もいます。所長さんならどう回答されますか?」と答えられるわけのない質問をしました。
所長いわく「少子高齢化が進むというけど、子どもが増えて人口が増えていくかもしれない。先のことはわからない。相互扶助の精神がわからない奴は日本から出ていけと言うことだ。とムキになって回答されていました。隣にいた課長さんは、キョトンとした顔をされていました。

そんな私が穏やかに仏法を説いて、「御仏のお導きでまた御縁がつながりました、この御縁の不思議に感謝しております。」と書くもので、驚かれることでしょう。

托鉢をする墨絵の掛け軸

床の間の掛け軸を替えました。
暖かくなり、托鉢して街を歩いていく墨絵の軸があるのを思い出して、客間に掛けました。

祖父母が衣装箱に収納していたのを見つけて、18年前に表装しました。

甥っ子は、来るたびに掛け軸が替えられているのを気付きます。

次に来たときは、何と言うことでしょうか。私の幼い頃のように落書きはしません。

宗教的な知識をもう少し

「臨済宗にはなんでお東やお西がないの?」と聞かれることがあります。
最初は「臨済宗には14派ありまして」という説明をします。お相手が浅い理解の場合には、このようにお伝えします。
「サッカーや大相撲にセリーグやパリーグがありますか?」と尋ねると、少しわかったようなお顔をされます。

戦後、日本国憲法で「公立学校で宗教教育をしてはいけない。」と規定されて、学校では宗教のことは教えてくれません。日本史で「臨済宗の開祖は栄西禅師」と解釈できるように記載があり、母校で日本史を教える同級生に、「君らが間違ったことを教えるから、間違った理解が広がるんだよ。」とやや高飛車に意見をしたことがあります。

うちの祖父やご近所のお寺のご住職には、公立学校の先生をされておられた先達がいらっしゃったのですが、宗教教育の禁止があっての二足のわらじで、さぞかし肩身が狭かったことと拝察いたします。

そんな背景があって、日本人の宗教的な知識や慣習は地域差があります。お経を上げるだけでなく、宗教者の伝える努力も必要になってくると思います。

私などは、役所勤務の時に、お客さんに「お経を読みますから」などと言って噂になったものですが、公私混同と批判されながらの仕事があって、一般市民の目線をつかむことができたと思います。

強風の一日

強風が吹いて花粉の影響に悩む一日でした。朝に本堂を開けに行ってから、くしゃみ連発で、本堂に空気清浄機を持ってきて稼動させました。

午前中に本堂で立て続けに2件あり、バタバタしていました。トラブルなく無事に終わりました。強風の影響で墓前でのお経は、本堂からお墓に向かってお経を上げました。

お子様が元気に動くご家庭にはハラハラしました。11時からの同級生のお母さんの法事の後には、お釈迦さまの涅槃図をご案内しながら、年忌法要をして故人を偲ぶことの大切さを説明させていただきました。

午後からは、事務仕事やポスターの貼り替えなどをしていました。突風が吹く中でも元気に動いていました。
皆様が安心できる空間作りに励んでいます。

十牛図のご講話を聴聞。

名古屋の栄にある政秀寺で、神戸市の祥福寺の岩村宗昂老師のご法話を聴聞してきました。
政秀寺のご住職から、老師さまを門前でお出迎えするようにご指示があり、午後2時にはお寺に到着するように大垣駅から電車に乗りましたが、電車の遅れで少し遅れて名古屋駅に到着しました。

地下鉄のホームで階段の人の流れを見ていると、岩村老師が降りて来られました。ご挨拶して、ご一緒に政秀寺まで向かいました。

午後3時から、岩村老師のご講話がありました。十牛図の第六の騎牛帰家でした。牛を飼い慣らしてお家に帰るというストーリーです。車の運転がうまくない私が、無事に運転して帰宅するということと重ね合わせて聴いていました。

岩村老師は、白隠禅師に参禅された庵原の平四郎の故事をもとにご説明くださいました。ひたすらに参禅弁道するうちに、ふと気づいて、牛を飼い慣らすように仏さまの心に近づいていくと説かれました。
お寺の長男に生まれて、周囲の期待が強すぎて嫌になっても、お坊さんでやっていこうと決心して、仏さまのご縁を引き寄せていくことができると説かれ、まさに私のことであると思いました。

若い頃は嫌気がさすことが多かったお寺の世界でしたが、こうしてご法話を聴聞するうちに、自分の荒れた牛のような心を調えて毎日を過ごしています。

「自ら仏に帰依し奉る。自ら法に帰依し奉る。自ら僧に帰依し奉る。」という三帰依文の教えを心で唱えながら、人混みの多い栄の街を歩いて帰りました。