無葬社会

2カ月ほどかけて「無葬社会」という本を読み終えたところです。
昭和の終わりの頃は、家族や親戚や町内の人が集まって、催し事のように大きな葬儀が行なわれていました。
今では、参列者が30人ほどの小規模の家族葬や葬儀式のない直葬が多くなってきました。
地縁や血縁などのコミュニティの結束が弱くなっていることばかりでなく、我々僧侶が儀礼の意味合いを説くことを疎かにしていたことへの反動もあるようです。

この本を読んでいると、僧侶としての思いと、一般の方との仏事への価値観にギャップがあることに気づきます。一般の方の「これまで我慢してきたけれど、これからは。」というマグマを感じます。

皆さまの思いの中にどう着地して、信仰を深めていくのか思案しております。
「自らいまだ渡らざる先に、他を渡す。」という道元禅師のお言葉があります。これまでの儀礼にこだわり続けるのではなく、皆さまが菩提心をお持ちいただくように布教をしていきたいところです。

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ありがとう。

掲示板のポスターを貼り替えたところです。卒業や進学、人事異動や転勤の節目に、「ありがとう。」の言葉を忘れずにいたいところです。

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動中の工夫は静中に勝ること百千億倍。

上手とは言えないお経の読み方で、これまで僧侶人生を歩んできました。若いうちは我流で通してきましたが、少しでもクセを治していきたいところです。
書店で臨済宗のお経のCDを見つけて、聴いているところです。実は後ろ姿が写っている和尚さんに、11年前に教わったのですが、ついていくことができませんでした。

「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍。」とは、よく言ったものです。人前でお経をあげてうまくいかず恥ずかしい思いをして、修正して行こうとするサイクルが必要であるようです。

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臨済録

月に1度の无名会という法話の会で、神戸市の祥福寺の木村太邦老師の講義をお聴きしてきました。

臨済宗の宗祖である臨済禅師の語録である「臨済録」の解説です。

冒頭の箇所にある「師匠はどこで誰に教わってきましたか。」という弟子の問いに、臨済禅師は「私は黄檗禅師のもとで3回叩かれて教わってきた。」と答えます。
その後に「弟子がキョトンとする間に、カーツと言って叩いた。そんな質問はムダなことだよ。」というストーリーをどう読み解くかです。

木村老師は、「黄檗禅師に3回叩かれたことによって、今の自分がある。弟子にも自分で考えてもらいたい。」という願いを伝えたかったと解かれました。
私も入門したばかりの頃、余計なことを言って叱られたものです。住職になってから、理由を知ったものです。
自分の僧侶人生と重ね合わせながら臨済録を読むと、味わい深いものになるのかもしれません。

帰り道で、名古屋の地下街の階段で、女子高生が2人地べたに座って、道をふさいでいました。スマホで自撮りして、自分たちの世界に入っているようです。
臨済禅師のようにカーツと言っては、効果はありません。「あなたたち、ここで座っていては迷惑だよ。もっと広いベンチへ行きなさい。」と注意をしました。素直に「ありがとう。」と言って移動したのを見届けて、その場を後にしました。

「自分も若い頃に、マナーを知らずに叱られたから、放ってはいけない。」という心境は、宗祖に近いのかと思いつつ電車に乗ったところです。

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夕焼け空を、雲がきれいに刺繍しているかのようです。
古人は、きれいな空や雲の上に仏さまがいらっしゃると思い浮かべたのでしょう。

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20年ほど前の、お坊さん仲間とのあいさつは、「ヒマか。」と言われたものです。

かつての相棒とお会いすることもないくらい出張しております。
出張先で、名刺交換をしておりました。「○○寺の和尚さんにはお世話になっております。」と言われて、「彼は私と修行同期です。世間は狭いものですね。」とお話ししておりました。

旧友の活躍をお聴きするとは、忙しいなかホッとする出来事でした。

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お中日

お彼岸のお中日です。
「昼と夜との長さがほぼ同じで、暑くもなく寒くもないこの日こそが、ご先祖さまのおられる「彼の岸」に手を合わせることができる。」と、先人から教わったものです。

気候の変わり目でもあり、人生の節目でもあるからこそ、何十年も前のことが蘇ってきて、先人の心というものに触れることができるのかもしれません。

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明け方は暴風雨でしたが、晴れ上がってきました。梅の木がきれいになってきました。

「一寸先は闇ではなく光である。」という詩を思い出しました。

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電車の中で読んでいると、すぐにお坊さんとわかる「月刊住職」を読んでおります。

お寺という組織を束ねる住職という立場である以上、変わりゆく世間を知らなくては勤めることはできません。
小さな糸のほつれから、大きなトラブルになることのないように、我が事のように読んでおります。

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一宮

さいたま市の氷川神社までお参りしてきました。

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古代から続くというので、仏教が伝わる前の創建になるのでしょう。
武蔵国の神社を束ねる「武蔵一宮(むさしいちのみや)」という位置づけで、旧市名の「大宮市」はそのことに由来するようです。

故郷の美濃一宮は垂井町にある「南宮大社」で、隣県の愛知県の西部の尾張一宮は「真清田神社」で一宮市の由来になっているようです。

古代からの教えが、おのずと伝わってくる「パワースポット」でした。
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