永代供養墓の勉強会に参加のため、姫路まで来ました。
姫路に来たのは、私が姫路城を見たいと言って、母や弟と一緒に36年前に来て以来です。当時はお母さんと歩くと笑われると、母や弟と離れて、姫路城から姫路駅まで歩いたものです。

36年経って、ご一緒した他の宗派のご住職にご挨拶をすると、河野太通老師のご威光を感じました。
河野太通老師は、姫路市では他の宗派のご住職からも尊敬を集めておられることを実感しました。私も10年ほど前まで、名古屋市の政秀寺で法話を聴聞していたことをお話ししていました。
永代供養墓というと、経営の苦しいお寺でもすぐに集客できる即効薬のように思われますが、なかなか思い通りにいかないものです。
お墓を購入してくださった後でご縁を深めていかないと、地主の存在にとどまってしまいます。その後、いかにしてご縁を深めていくかが、永代供養墓を造成してよかったと思える分水嶺になると再認識しました。
その後の懇親会で、違う宗派のご住職と語って、これまでの僧侶人生を振り返ることができました。9歳の時の父の自死、半年後の祖父の老衰の死で、私が法事や近所のお家の葬儀に参列しました。
それで、うまく行くかと思い、修行に行ったら、「気が利かない。動きが遅い。」と言われて批判されました。そして、20歳で住職になって、24歳で晋山式をして、「金持ちの家の娘を嫁にもらって食わしてもらえばいい。」と言われて、30歳で布教講習会に行った時は、「お前は、修行年数が短いからダメだ。」と批判されるという、散々な僧侶人生でした。
その後、批判した人が、「修行1年でも、住職になれます。」とプレスリリースしたり、血縁者に禅譲したりと、まあ強い者のいうことは、「上座の者が白を黒と言えば、下座の者も黒と言え。」という前近代の伝統が続いていました。
そんな理不尽を感じていたところに、12年前の住職塾に始まる宗派を超えた集まりに参加して、そんなことにとらわれず、もっと大きな視点で布教をしていくべきだと思いました。
今までの檀家制度は、いずれ消滅していくわけで、それに変わって、お寺がいかに新しいご縁の信者さんに法を伝えて信仰を深めていくかが大切だと思いました。
浄土真宗のご住職の講義を聴いて、このように教化していくべきだと思いました。昔、鎌倉の円覚寺の朝比奈宗源老師が、真宗高田派の村田静照和上に、法話の教えを請うたことを思い出し、私が、真宗高田派の村上英俊和上に法話をお願いしていることに重ね合わせていました。
いろんな宗派のご住職や業者さんとのご縁があって、修行人生が進んでいくのですね。若い頃は、お葬式の脇僧に使ってもらえないとビクビクしていたものですが、小さなことに執着していたものと反省しています。
