近所の檀家さんの法事

近所の檀家さんのお宅の二十七回忌と五十回忌のお参りに行ってきました。
40年も前からお経を上げに行っているので、ドアホンを鳴らして勝手に仏間に上がっていったり、障子戸を開けるようなマナー違反をしても嫌な顔をされないのは、慣れとは恐ろしいものです。
この間まで、小学生のイメージでいた若者が結婚して子どもがいたりするのは時の流れを感じるものです。

若い頃は、一人若い当主にお火を上げてもらっていたのが、今では私がやるからというのは、年の流れに逆行しています。
45分ほどお経を上げて、思い出話半分の思い出話をしました。「お父さんの戒名は、すぐに頭に思い浮かんで、すらすらと9文字に書き写しました。それだけ、お世話になったから、お贈りする戒名が今のAIのように出てきました。」とがらにもないことをお伝えしました。
「子どもの頃は、月参りの後に息子さんとファミコンで遊んで、公私混同どころか罰当たりでしたね。こちらの木魚を強く叩きすぎて、バチが壊れてしまいました。2人の甥っ子は私よりもお利口で、力を入れなくてもいい音を立ててくれます。」とお伝えしていました。

生え抜きで長くいるからこそ、40年がかりの思い出話ができるものです。「月参りをすっぽかして苦情の電話がかかってきたこともありました。今ではクラウド管理しているから、間違えることも少なくなりました。」とお伝えしていました。
新しいご縁が広がっているのですが、基盤となる一族と檀家を兼ねるお家を忘れてはいけません。

50年前の両親の結婚式

古い離れを整理していると、スナップ写真が出てきました。
背の低いお婿さんとお嫁さんが写っていてどなたかと思ったら両親の結婚式の写真でした。


50年前の1976年(昭和51年)の2月10日に両親の結婚式が開催されたようです。私は母のお腹の中にもいませんが、古い記憶が蘇ってくるようです。

どんな巡り合わせがあって、両親が結婚したのかわかりませんが、弘法大師のお導きがあって巡り会い、父亡き後も41年このお寺に住んでおります。

最近、お葬式や結婚式をされない選択をされる方が多くいらっしゃいます。近所のご住職で、「お葬式はすべきだ。結婚式はしなくていい。」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
そのお寺は、白隠禅師は逗留されたので、御教えを貫いておられるのかと思ったのですが、そうではないようで不思議な思いがします。白隠禅師はそんなことはおっしゃっていません。

面倒であるとか虚礼のような儀礼でも、50年100年先に継承されていくと思いました。

東京の湯島にある麟祥院で勉強会に参加。

春日局のお墓がある、東京都文京区湯島にある麟祥院へ行って来ました。毎月の禅語録の勉強会に、昨年よりお仲間に入れていただき、毎月通っております。


先月は、地元でお通夜があるために欠席いたしましたが、山門をくぐると凛とした雰囲気の中、エネルギーが湧いてきました。

受付で、霊梅院の柳和尚さまにご挨拶して、受付をすませて本堂に入ると、すでに満堂になっていて雰囲気に飲み込まれました。席は、一番前の横田南嶺老師と小川隆教授の間のVIP席が空いていて、緊張しながら座りました。席の真正面にストーブがあり、暖かく過ごせました。横田老師や、大乗寺の河野徹山老師はiPadを利用されていて、私もiPadを利用してノートを取っていました。

小川先生のお話しは、テンポよくわかりやすいお話しで、1時間30分があっという間に過ぎていきました。臨済宗は特定の宗祖や教義があるものではなく、どれか一つ語録を読破できたからと言って、臨済宗の教えを網羅できるわけではありません。やはり、時間をかけて広範囲に読み進めていかないと、偏っていってしまいます。
中国の宋の時代の圜悟克勤禅師と五祖法演禅師のやり取りから、当時の臨済禅を学びました。作用即性(さゆうそくしょう)という、ありのままのの日常生活を過ごすことが悟りに近づくことであるという、一派があるようです。
臨済禅の教えも、ありのまま派と叱咤激励派との政権交代や共存があるようで、時代背景によって異なるようです。

その後、横田南嶺老師の臨済録のご講義がありました。スライドを隠侍さんがセットしておられて、時代背景を感じました。

臨済禅師が三峰山の平和尚のもとへ訪ねていった時のやり取りです。「どこから来た」「黄檗から来ました。」こういうやり取りです。
「桑海くんはどこで修行したの?」「犬山市の瑞泉寺で修行しました。」というやり取りを思い出します。「瑞泉寺の老師さんはお元気かね?」という松竹寛山老師とのコミュニケーションとよく似ています。
平和尚は、黄檗禅師の弟子の臨済禅師を試したと思われます。「黄檗禅師は厳しい指導をするけれど、臨済禅師はその心を理解しているのか。」を人物チェックしたわけです。
「清霄にも住まず」という青空にも止まらないという表現したは、仲間内で伝わる表現方法です。

講義が終わって、横田南嶺老師にご挨拶に行って、新著を拝読していること、日曜説教で使われている「礼讃文」「三帰戒文」「開経偈」を拝読していることをお伝えしました。お付きの和尚さんが、鋭い目でこちらを見ておられました。お引き留めしてはいけませんね。

その後、会食があり、遠く離れたお寺の和尚さんと、「どこで修行しましたか。」「老師さんや修行仲間の和尚さんはお元気かですか?」というやり取りをしていました。

岐阜のお寺へは日帰りで戻りました。母に、「清霄院」で始まる戒名はどうかと提案しましたが、「不識(知らない)」と却下されました。父の戸籍名は一清で、祖母の戒名は「丹霄院」で始まるのでいいかと思うのですが、私の布教力が足りないようで、伝わらないようです。

鉄道警察隊 東京分駐所

広い東京駅で、東海道新幹線から地下鉄丸ノ内線に乗り換える途中で、鉄道警察隊の東京分駐所の前を通りました。
35年前の中学生の頃に、鉄道警察隊の刑事ドラマ「さすらい刑事旅情編」というテレビドラマが放映されていたのを思い出しました。

大学生の頃は、気づかなかったものですが、東京に足繁く通うと巡り合うことができました。
ドラマに出演された三浦洋一さんは46歳でお亡くなりになったようですが、私は三浦さんの年齢を超えて、作務衣と雪駄で東京駅を疾走していました。
35年前は、スマホなどはなかったので、どうやって連絡を取っていたのでしょうか。

富士山

新幹線の車窓からきれいな富士山を拝むことができました。
雪が降った後の遠景はいつも以上に神々しいものです。

桧町の瑞雲寺で白隠禅師の教えを学ぶ。

大垣市桧町の瑞雲寺の大般若会にお参りさせていただきました。


こちらのお寺は、39年ほど前からお参りしていました。
先代の辻大雄和尚さまは、下呂市の禅昌寺の門前でお生まれになって、禅昌寺で小僧生活、美濃加茂市の正眼寺で修行されて、檀家の多くないこのお寺に入寺されて、地域住民のご協力を得て、本堂 鐘楼 庫裡を新築されたとお聞きしています。


今のご住職は、ご師父から道場の雰囲気を学んで、地域に貢献しておられます。

白隠禅師が逗留されて、「古人刻苦光明必盛大也」という書籍の一句をご覧になって奮起されたようです。

地域住民の方々が多くお参りされていました。

白隠禅師の先達に盤珪禅師という高僧がおられます。盤珪禅師は、「不生の仏心」を説かれて、「ありのままの心」が尊いとされました。その後、100年近く経って白隠禅師は盤珪禅師の教えを批判的に継承されて、「人の心は叱咤激励しないと怠惰になる。」と説かれたようです。

どちらがいいかというものでなく、時代背景によって変わってくるのではないでしょうか。昭和後期から平成初期までの安定して、頑張ればやっていけた時代なら、ありのままの心で過ごして、令和時代の混迷の時代は、刻苦していかないと行き詰まっていくわけです。

この時代でも、シルバー民主主義といって、公的年金制度や高福祉制度に依存し過ぎる考えがあります。「国会議員や公務員が何もしてくれない。」と批判するのではなく、自分で何かしていくべきであると、白隠禅師が教えてくださるようです。

大学の先輩で、今は母校の総長の林真理子さんの小説に「下流の宴」というものがあります。「うちは中流階級だと思って過ごして、世間体を整えてきたのだが、結局のところはそうではなかった。」というストーリーです。

うちのお寺も中流階級と思って修行に行ったら、実は下流階級であったと嫌な思いをしたものです。そもそもお寺社会に中流や下流などあってはいけませんが、現実なのです。

今の時代は、ありのままの心で見つめて、しかも無理なく刻苦して生きていく時代であると思い、お寺を後にしました。

期日前投票から感じる選挙制度への疑問

日が暮れてから、神戸町役場に行き、明日の衆議院選挙の期日前投票に行ってきました。

明日は雪の予報が出ているからなのか、小さな町役場でも多くの投票者がいました。

投票所に行って気づいたのが、投票者の本人確認がいい加減ですね。入場券を渡して、私に質問されるのは生年月日だけです。これではなりすましでの投票を防止できません。マイナンバーカードで本人確認することはされないのでしょうか。

あと、最高裁判所の裁判官の審査ですが、どれほどの効果があるのでしょうか。31年前に、大学の憲法の教授が、「今太閤と呼ばれた元総理が、元気のいい愛娘を最高裁判所の裁判官にするようなことがないように、審査制度があると主張する学者がいる。」とおっしゃいました。
日本国民は、法学の学説や判例を知る人は少数で、「こんな主張をする裁判官は許せない。」と思う人がどれほどいるでしょうか。

日本の選挙制度は、制度疲弊が出ているのです。選挙制度を改正しようとする政治家は少なくて、結局は変わっていかないことでしょう。

帰り際に、役場の職員に、「本人確認が適当ですね。この小さな町で、私が役場に来ただけで噂になるでしょう。でも大都市で今のやり方では、本人確認が難しいですね。」とお伝えしたのですが、「私に言われても困る。」という顔をされていました。

そうです。市役所や役場の職員は、選挙制度について主張する権利などはありません。中立性を求められる公務員ほど、政治権力に振り回されているのではと思いました。

身だしなみ

13年前に未来の住職塾へ行くまでは、お坊さんのお友達はあまりいませんでした。宗派が異なると皆無に近いもので、いろんな面で苦戦したものです。

一回り以上も若い丹羽浩加さん姉妹からのお誘いで、名古屋市中村区にある善成寺をお参りさせていただきました。

身だしなみの講義でした。お坊さんは法要の時は法衣を着て、普段着では作務衣を着ることが多いものです。
マンネリ化してしまうか、他人との違いを見せようと目立つ装束を着用することがあります。

私の旧友で、法要の時にもルイヴィトンのカバンを持ち歩いて、「ヴィトン和尚さん」と呼ばれる方がいます。

私は導師を務める時だけ紫色の法衣を着て、法話をする時などはベージュの法衣を着ています。

25年ほど前に、TPOという言葉を聞きましたが、場面に応じて変化をもたせていくのが大切ですね。

私が洋服を着る時は、無地でシックな色合いのものを着ます。こんな感じで通用するようです。

ご本尊にお参りしていると、内敷には織田家と同じ木瓜の紋が刺繍されていました。このあたりは織田信長の影響があったのかと思いながら、お寺を後にしました。

ご唱和は心を一つにします。

午前中に、三回忌の法要があり、本堂に6人集合されて、お経を上げました。

皆さまがご唱和されて、思いが故人に伝わって、その光がまた皆さまに照り返すことでしょう。

96歳のおじいさんも、ご唱和くださいました。正信偈を幼い頃から教わってこられたようですが、100歳近くなって、般若心経や観音経を覚えてくださるとはありがたいことです。

ご唱和は本堂の聴衆の心を一つにします。

仏法遥かなるにあらず。心中にしてすなわち近し。

お昼からお墓の見学がありました。
午後1時からのお約束でしたが、1時間前にお越しになって、境内を一周されていました。

知らないおばさんが、断りなくうちの駐車場に車を止めて行かれたのですが、「このお寺はいいよ。」と持ち上げてくださったようです。予期せぬステルスマーケティングです。

本堂で1時間ほどお話しをお聞きしました。私も聴く力は向上したようです。
弘法大師のお寺をお参りされて、うちのお寺を訪問しようと思われたようです。
「弘法大師のお導きですね。母も50年前の今頃、弘法大師のお導きで、真言宗のお寺から嫁いできました。」とお伝えしました。

私には、営業社員のような能力はありませんが、不器用ながら仏道を歩んできたから、お客さまがお話しをしてくださると思います。

「仏法遥かなるにあらず。心中にしてすなわち近し。」と身の回りの仏法を伝えていきたいと思う毎日です。