樹木葬墓地の樹木が青々としてきました。
この間まで桜が咲いていたのに、この早さには50歳近くなっても新鮮な思いがします。

お墓参りのお客さまが多くお越しになりました。
ご挨拶に出ていくと、ご縁が増えていくことに驚いておられました。

このお宅は、代々臨済宗を信仰されるお家で、ご縁があってうちで供養させていただくことになりました。

大源寺だよりと住職インタビューをお渡しして、今後もっとご縁を深めていくようにご案内しました。

三島市の龍澤寺の中川宋淵老師は、「生きてこの 青葉若葉の この光」と詠まれました。青葉若葉が萌えてくる頃に、無事に歳を重ねてご縁が深まっていくことに感謝しております。

大法寺 終活セミナー

お世話になっている長谷雄 蓮華上人が多くの信者さんを集められる愛知県愛西市の大法寺までお邪魔させていただきました。

今日は月に一度の終活セミナーが開催されて、会場いっぱいに多くの信者さんが集まっておられました。

長谷雄住職の法話から始まりました。長谷雄住職のお話しは、専門用語が少なく、誰もが惹きつけられていました。聴衆が何を知りたいのかよく把握しておられて、相手の心にスッと入っていくお話しでした。

講師は弁護士の大井先生で、遺産相続における遺留分のことを講義してくださいました。遺留分というと、学生時代に少し勉強して、試験にここが出るという一夜漬けの理解でしたが、住職になって何年も経っての勉強の方が、必死になっています。

最後に竹内院代のお話しで、お亡くなりになってからお葬式までの流れを、宗教的意義を前提にわかりやすく説明してくださいました。途中、私も発言するということもあり、気が抜けませんでした。

終わってから、ほんのちょっと後片付けをお手伝いしていると、アンケートを私に渡されるお客さまがおられました。大法寺のスタッフに成り切って回収していました。

本堂にお参りに行くと、こちらの檀家さんが信心深くご本尊に手を合わせておられました。般若心経を上げておられて、こちらの布教はきめ細かく行き渡っていて、ご住職や院代が慕われているのを感じました。
お墓にお参りに行くと、樹木が青々としていました。今日のセミナーのお客さまが見学しておられました。

こちらのお寺は接遇が丁寧ですね。うちの方では、「あのお寺は腰が低そうに見えて、実は上からモノを言う。」という声を聞きます。うちもそう言われているかもしれません。
また、私が修行したお寺では、大きなお寺のご住職には深々とお辞儀をして、受付は先に通されて、私のような小さなお寺の住職には、ろくにあいさつもせず、受付も後回しで、お金を持って行ったら、「忙しいから後にしてください。」と言われたこともありました。

誰にでも優しい笑顔と言葉で接して、私のようなものでも惜しみなくご指導してくださる、長谷雄ご住職と竹内院代のもとに多くの信者さんが集まって来られる光景を見て、少しでも見習って、うちにも多くの信者さんが集まって、安心を届けられるお寺にしていきたいです。
このご縁に感謝しております。

永代供養墓の勉強会に参加のため、姫路まで来ました。
姫路に来たのは、私が姫路城を見たいと言って、母や弟と一緒に36年前に来て以来です。当時はお母さんと歩くと笑われると、母や弟と離れて、姫路城から姫路駅まで歩いたものです。

36年経って、ご一緒した他の宗派のご住職にご挨拶をすると、河野太通老師のご威光を感じました。

河野太通老師は、姫路市では他の宗派のご住職からも尊敬を集めておられることを実感しました。私も10年ほど前まで、名古屋市の政秀寺で法話を聴聞していたことをお話ししていました。

永代供養墓というと、経営の苦しいお寺でもすぐに集客できる即効薬のように思われますが、なかなか思い通りにいかないものです。

お墓を購入してくださった後でご縁を深めていかないと、地主の存在にとどまってしまいます。その後、いかにしてご縁を深めていくかが、永代供養墓を造成してよかったと思える分水嶺になると再認識しました。

その後の懇親会で、違う宗派のご住職と語って、これまでの僧侶人生を振り返ることができました。9歳の時の父の自死、半年後の祖父の老衰の死で、私が法事や近所のお家の葬儀に参列しました。
それで、うまく行くかと思い、修行に行ったら、「気が利かない。動きが遅い。」と言われて批判されました。そして、20歳で住職になって、24歳で晋山式をして、「金持ちの家の娘を嫁にもらって食わしてもらえばいい。」と言われて、30歳で布教講習会に行った時は、「お前は、修行年数が短いからダメだ。」と批判されるという、散々な僧侶人生でした。

その後、批判した人が、「修行1年でも、住職になれます。」とプレスリリースしたり、血縁者に禅譲したりと、まあ強い者のいうことは、「上座の者が白を黒と言えば、下座の者も黒と言え。」という前近代の伝統が続いていました。

そんな理不尽を感じていたところに、12年前の住職塾に始まる宗派を超えた集まりに参加して、そんなことにとらわれず、もっと大きな視点で布教をしていくべきだと思いました。

今までの檀家制度は、いずれ消滅していくわけで、それに変わって、お寺がいかに新しいご縁の信者さんに法を伝えて信仰を深めていくかが大切だと思いました。

浄土真宗のご住職の講義を聴いて、このように教化していくべきだと思いました。昔、鎌倉の円覚寺の朝比奈宗源老師が、真宗高田派の村田静照和上に、法話の教えを請うたことを思い出し、私が、真宗高田派の村上英俊和上に法話をお願いしていることに重ね合わせていました。

いろんな宗派のご住職や業者さんとのご縁があって、修行人生が進んでいくのですね。若い頃は、お葬式の脇僧に使ってもらえないとビクビクしていたものですが、小さなことに執着していたものと反省しています。

祖母の思い出

夕暮れ時に草取りをしていると、竹蓑いっぱいに草がたまっていきました。草が生えるのは早いものです。

日が暮れてから、大叔母からいただいた花を祖母と曾祖母の墓前に手向けてきました。


祖母が言うには、曾祖母は法話会の時も居眠りをしていたようで、私の若い頃によく似ています。
祖母が昭和15年に嫁いで来た時、住職である祖父が上座で、お客さまが下座に座っておかしいなと思ったそうですが、私と一緒に犬山の瑞泉寺に行って老師さまにお会いした時、老師さまが上座で、何の由来かわかったようです。

その後、住職になってから、私が上座で、檀家総代さんが下座に座ったことを強く叱責しました。

お寺はどうしても、上からものを言うものです。うちのような小さなお寺でも、祖父は東大出のプライドで、老師さまのように立ててもらって当然と思っていたようです。

今日の横田南嶺老師の管長日記で、「お寺はサービス業の側面もある。」とおっしゃっていました。世の中のトレンドというものに流されるのはいけないが、お寺は仏法をわかりやすく説いて、安心をもたらしていくサービスを届けていく必要があると感じました。

祖母や曾祖母にお寺の伝統を安売りするなと言われそうですが、皆さまにわかりやすく説いていく必要を感じました。

大叔母の訪問

終活セミナーを終えてお客さまをお見送りしていると、杖をついたお婆さんが入って来られました。
どなたかと思い見に行くと、96歳になる大叔母でした。
2ヶ月前に、法事の前日に沈香を求めに仏壇屋さんに入っていき、その中にいた私が、「うちにいっぱい在庫があるから持って行くよ。」と行って、お寺に残っていた沈香と線香をお持ちしたのですが、そのお礼ということでお花をお持ちくださいました。

細々と年金生活を送る大叔母にお持ちいただくのは、心苦しいのですが、ありがたくいただき、「おばあちゃんの墓前に手向けるよ。」とお伝えしました。

父は養子で、大叔母とは血縁関係はなく、祖父が東大出の教員で、「一寛くんは定職につかず、本当に頼りない。それで家を建てるというから、(お寺の隣りに住む)大叔母の義姉は、無職無収入で無謀なことをすると、お寺の隣り近所はみんな笑っている。」と4年前は言っていたものです。事実誤認です。

「桑海くん。若くして住職になると、いろいろ言われるものだよ。」と松竹寛山老師が諭してくださいました。いちいちカッカすることはなく、こんなものだと笑い飛ばす胆力が必要であるようです。

時が過ぎれば、みんなうちに立ち寄ってくださるわけですから、地道に仏法を伝えていくに越したことはありません。

大雨が降っていたのですが、「雨降って地固まる。」と次第に土台が固まっていくようです。
「地面の砂利は、前あった芝生を全部剥がして入れたんだよ。ぬかるみが多くて大変だったよ。」と話してお見送りをしました。

終活セミナー

朝から大雨が降って、お客さまがお越しくださるか心配していましたが、多くの方が足を運んでくださり、終活セミナーを開催することができました。

今回のテーマは、「相続税」でした。相続税というと、お金持ちにお宅のお話しのように思えますが、一般の家庭にもじわじわと生じてくる問題です。

6年前にBNIというビジネスグループでご縁のできた角田信さんが、わかりやすくお話しくださいました。
今まで出ることのなかった質問が次々と出て大いに盛り上がりました。皆さまに実りがあったようで、充実感に浸っています。

角田さんのお話しの前座に、終活法話として私がお話ししました。スライドを作成して張り切って話したのですが、反応はイマイチで、後ろから母から「もっと声を出せ。」と指示が飛んで来ました。

何事も数を重ねていかないと充実していきませんから、次回に向けて法話を練習していきます。

角田さんと岡橋さんと、次回の日程とテーマを決めて、解散しました。皆さまのご協力があって、お寺が社会に貢献していくことができます。

親に似てくること

午後からは、法事が2件と樹木葬墓地の見学がありました。
よくある質問に、「住職はおいくつですか?」と聞かれます。私は年齢をお答えすると、「お若く見えますね。」と言われます。若く見られるにはいいことです。
足腰が弱らないようにしないといけません。

同級生のお母さんの四十九日の法要では、お子さんが、同級生の中学生の頃にそっくりです。最近同級生の子に会うと、親の幼い頃にそっくりのことが多いです。それだけ、年齢を重ねたかもしれません。

二人いる上の甥っ子が、私の幼い頃にそっくりです。ひょっとしたら30年後、「お父さんにそっくりですね。」「いや伯父です。」というやり取りがあるかもしれません。

法事に出るごとに、時代が流れていくのを感じます。

瑠璃光寺

ご近所の瑠璃光寺の先住職の新忌齊(忌明け 四十九日)の法要がありました。

先住職は土屋組というゼネコンに、70歳を過ぎてもお勤めされていました。
お寺も1200年の歴史があり、春日局が愚堂国師に贈った袈裟や白隠禅師の墨蹟が所蔵されています。

臨済宗のお寺に多いのですが、封建時代に有力者から庇護を受けたお寺ほど、現代の民主主義社会では、将来的なビジョンが見えず経済的に立ち行かなくなるお寺があるようです。

こちらのお寺が今後どのような道をたどっていくのか想像がつきませんが、故人の思いを後世につなげていくようにと願っております。

思わぬ来客

若い頃は、お客さまがお越しになるのは、新聞かヤクルトの集金かご近所のお葬式のご案内かいずれかでした。

同じ神戸町にお住まいの方がお越しになりました。この方は私と同じように横田南嶺老師のファンで追っかけをされているようです。うちのブログを毎日お読みくださっています。

先日の揖斐川町での法話会でもご一緒させていただいたようです。

そのようなご縁で、1時間お話しさせていただきました。樹木葬墓地のこともお話しさせていただきました。

「私はどこへでも法務に参ります。」とか「いずれ、うちのお寺でも横田老師の法話会が開催できるといいですね。」とお話ししていました。

若いうちは、高倉健さんのように寡黙に儀礼を進めるのがよいと教わってきました。寡黙でかっこよく伝わればいいのですが、一般の人には伝わりにくいものです。
「うちの和尚さんは、布教師だけど、私たち檀家は和尚さんの法話を聴いたことがない。」というお声を聴いたことがありました。

私のように、かっこいいわけでもなく、お経や法話がうまいわけでもない僧侶が、必死になってブログなどで伝えていこうとすれば、予想しなかった人に伝わっているようです。

横田南嶺老師のご縁で、このようにありがたいご縁ができました。このご縁の不思議に感謝いたします。

渓声是れ広長舌

すぐ目の前のゴミ捨て場にゴミ捨てに行くと、桜が散って芝桜やドウダンがきれいに咲いていました。

昨晩は雷が鳴って大雨が降っていました。
また掃除が待っています。
「渓声是れ広長舌」と蘇東坡は詠ったようです。

19年前に松原哲明和尚さまに教えていただいた漢詩の一節を思い出しました。