山本玄峰老師の講義をまとめた「無門関提唱」を拝読しております。
山本老師は、目が不自由な境遇の中、修行を積まれて妙心寺派の管長を勤められました。
終戦詔書の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のくだりは、山本老師の言葉をもとに起草されたとも伝えられています。
犬山市の瑞泉寺の僧堂にいたときから、山本老師のことを耳にしていましたが、うろ覚えの状態でした。
次号の大源寺だよりに、山本老師のことを掲載させていただきます。住職になって20年経ってから、祖師の業績が浮かび上がってきます。
山本玄峰老師の講義をまとめた「無門関提唱」を拝読しております。
山本老師は、目が不自由な境遇の中、修行を積まれて妙心寺派の管長を勤められました。
終戦詔書の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のくだりは、山本老師の言葉をもとに起草されたとも伝えられています。
犬山市の瑞泉寺の僧堂にいたときから、山本老師のことを耳にしていましたが、うろ覚えの状態でした。
次号の大源寺だよりに、山本老師のことを掲載させていただきます。住職になって20年経ってから、祖師の業績が浮かび上がってきます。