先日、京都の東福寺の山内の即宗院をお参りさせていただきました。
このお寺の境内の中にあった庵で、西郷隆盛と月照は潜んでいたようです。幕府のお尋ね者となっても、信念を貫いたエネルギーが伝わってくるようでした。
昨日「西郷どん」を観ていました。逆境を乗り越えて時代を切り開いた姿を見習いたいところです。
先日、京都の東福寺の山内の即宗院をお参りさせていただきました。
このお寺の境内の中にあった庵で、西郷隆盛と月照は潜んでいたようです。幕府のお尋ね者となっても、信念を貫いたエネルギーが伝わってくるようでした。
昨日「西郷どん」を観ていました。逆境を乗り越えて時代を切り開いた姿を見習いたいところです。
仏教会の配布物をお配りしていました。この地域は天台宗のお寺から、戦国時代以降に浄土真宗のお寺に宗旨替えをされたお寺が多いようです。
そういう背景から、比叡山と同じように日吉神社があり、上宮と下宮の2つの神社があります。下宮という地名があります。
下宮の隣にあるお寺にお伺いしたとき、灯籠がきれいに輝いていました。長年の伝統なのでしょう。
住職塾でご一緒した伊藤さんが中日新聞に投稿されていました。
駅員さんの対応に心温まります。
養老町の薬師院の先代和尚さまの忌明け法要でした。
こちらのお寺は、うちのお寺と350年以上前から深い関係です。どちらも慈渓寺の住職の隠居所として建立されました。
15キロ離れた道のりを、今では車で移動していますが、かつては3時間ほど歩いていたのでしょう。
歴史をなぞるような気持ちで、お参りさせていただきました。
京都へは何度も行きますが、妙心寺の他のお寺に行くことはありませんでした。
同じ臨済宗でも行くことのなかった、東福寺、建仁寺、大徳寺をお参りさせていただきました。
三門や門前の松は、臨済宗のお寺に共通するところです。雰囲気や運営方法は長年にわたる伝統が重んじられているようです。
室町時代の京都五山のことや、林下(りんげ)と言って五山の枠外とされたお寺の格付けのことを思い出しました。
妙心寺は、五山の枠外にあった大徳寺の末寺から始まったのです。
ゆっくりと休むことなく、駆けずり回る一日でした。
お釈迦さまから、「自らをともしびとせよ。忙しくても依頼心を捨てよ。」というメッセージが伝わってくるようです。
私の留守のうちに、ご近所の方がお寺にお見えになりました。大源寺だよりをご愛読くださり、1号から7号までをファイルに綴じて、第1号をカラーコピーにしておられるようです。
ありがたいことです。皆さまの応援が励みになります。
明後日の涅槃会を前に、涅槃図を倉庫から出してきました。お釈迦さまがお亡くなりになってから、教えを絶やさないように、お弟子さんたちが伝えて現代に至っております。
お釈迦さまの教えに生かされていること、多くの皆さまに支えられていることに感謝しております。
ラジオ出演をされるなど、仏教をわかりやすく説かれる長谷雄蓮華さんが住職をされる大法寺をお参りさせていただきました。
突然の訪問でしたが、ご丁寧に境内を案内してくださいました。大きなクスノキの下にある樹木葬墓地を拝見させていただきました。
お寺では「終活セミナー」が開催されていて、飛び入りで参加させていただきました。ご住職のお話しは、聴取を飽きさせることのないわかりやすいものでした。
ご住職は常に低姿勢で、ご丁寧に教えてくださいます。いつでも駆け込みたくなるお寺を探し当てたような思いでした。
大垣市桧町にある瑞雲寺の玄関先に掛けられていました。
埼玉県新座市の平林寺の松竹寛山老師が書かれた「松に古今の色なし。」という禅語です。「時代が流れても、松の木はどっしりと構えている。」とはいう解釈をしております。
松竹老師とは、10年前、東京都世田谷区野沢の龍雲寺で、故松原哲明老師の勉強会を終えると、ラーメンを食べて、渋谷駅までの東急バスの中で気楽にお話しさせていただいたものです。「老師は大学の先輩なのですね。寛という字も同じですね。」と不敬なことを言ったものです。
10年経っても、松の木のように根元は変わっていません。老師から「桑海くん。不器用でも努力を続けていけばいいのだよ。」というメッセージが伝わってくるようです。
昼間とは対照的に、銀世界のお寺に模様替えです。