比叡山延暦寺をお参りした後、天台宗寺門派の総本山である三井寺をお参りさせていただきました。
平安時代の創建と思いこんでいましたが、白鳳時代にまで遡る歴史があるようです。紅葉に囲まれた参道を歩いて、ご本尊の弥勒菩薩をはじめ多くの仏さまにごあいさつさせていただきました。
比叡山延暦寺をお参りした後、天台宗寺門派の総本山である三井寺をお参りさせていただきました。
平安時代の創建と思いこんでいましたが、白鳳時代にまで遡る歴史があるようです。紅葉に囲まれた参道を歩いて、ご本尊の弥勒菩薩をはじめ多くの仏さまにごあいさつさせていただきました。
琵琶湖の湖畔でのお墓参りをした後、引き寄せられるように比叡山の山頂の方まで向かいました。
延暦寺にある多くのお堂をお参りさせていただきました。車がない時代に、多くの修行者が必死に山頂に登り、仏道を求め続けた足跡を拝見することができました。
法衣姿でお参りしたものですから、参拝のお客さんに道を尋ねられることが何度もありました。「私は臨済宗の僧で、祖師の足跡を辿っております。」とお答えしておりました。
「天台宗では、お釈迦さまは宇宙の真理を説かれたと捉える。臨済宗では、お釈迦さまは『修行をして自分自身の中に仏さまの心があることに気づくことが大切であると説かれた。』と捉える。」と自分なりに教義の違いの解釈をしながら、ゆっくりと足を進めておりました。
うちのお寺の樹木が、ひっそりと紅葉しております。
寒くなると私の顔も赤くなります。酔っているのではなく、木々に順応しております。
木曽川にかかる橋を渡るところです。きれいな朝空が澄んだ気持ちをもたらしてくれます。
次の大源寺だよりに、「本来無一物」という禅語を掲載します。
「いつもチリを払っていかなければならない。」という先輩に、「人の心は元からきれいなものだ。払うチリなんてどこにあるのか。」と大胆に挑んだストーリーです。
母がお嫁に来た頃のこと、本堂にいるとご近所の和尚さんに手招きをされます。人差し指でかきあげたホコリを見せて、気づきを求めたようです。
母もその和尚さんも小学校の教員でしたから、「払うべきチリはない。本来無一物」と行かなかったものかと、40年経ってから懐古しております。
臨済宗妙心寺派の管長を勤められた河野太通老師の著書を購入して、1時間半ほどで読み終えたところです。
河野老師の月に1回のご法話を聞くことから遠ざかりましたが、真正面でお話しを聴いているようです。
ユーモアのある例え話しから、仏さまの教えをストレートに説かれて、ジーンとくるばかりか涙を含めるようでした。
「世間は見た目だけで言いたいように言う。行動する者に信念がなければならない。」と熱いメッセージがありました。
今も継承される月に1回の法話の会である「无名会」に参加するようになったのは、ちょっとのぞいてみようという軽い心から始まるものでした。10年経過してレギュラーにように参加しているのは、「仏さまに支えられている。」という安心をもたらしてくださったからです。
この教えを皆さまに、「見えない力に支えられている。」という安心をお伝えしていきたいと念じるところです。
お釈迦さまのお弟子さんで、自分の名前さえも忘れて、教団から追放されたこともあるシュリハンドク尊者の肖像と伝えられるものです。
お釈迦さまから必死に掃き清められるように指導されて、心の垢を取り除いて悟りを開かれたと伝えられています。
原稿を書くことが大嫌いであった私も、ブログを毎日書かれる先輩を見て、毎日のように投稿しております。心の垢を取り除くには、まだまだのようです。
漢字が多くてわかりにくい仏教の教え禅の教えを、どのように説くのか。11年前に故松原哲明和尚さまから、詩歌を用いることを教わりました。法話の原稿に詩歌を入れましたが、詰め込みすぎていて「コピペ」の状態であったことを思い出します。
横田南嶺老師が、敬愛される仏教詩人の坂村真民先生の詩集百選を出版されました。日曜説教での講義を元に拝読しております。
坂村真民先生は、詩に「たんぽぽ」を多用されるようです。「たんぽぽの種のように、どんな遠いところへも飛んでいって、その花言葉のように、幸せをまき散らしたいのです。」という詩には、観音さまの慈悲の心を思い浮かべます。
理屈でわかっていても心の琴線に触れるお話しをするのは、一生かけて積み上げていくものでしょう。
私はたんぽぽではなく、稲穂とか瑞穂という言葉を多用します。農村地帯の生まれ育ちであり、苦心して稔ることを見ていたから、一念を貫く思いを託しているのです。
「まいてら」というポータルサイトのお仲間に入れていただきました。
住職になった時は、「どうお寺をやって行くの。」と誰しもが思いました。私も不安で投げやりになったときもあります。
皆さまにお支えいただき、ここまでたどり着くことができました。
こうして学び合い仏縁を広げることができる不思議に感謝して、今後も修行を続けていきます。
下記のURLをクリックしていただくと、まいてらをご覧いただけます。
快晴の空の下、曾祖母の五十回忌と父の三十三回忌の法要を勤めさせていただきました。
昭和15年にこの本堂を建ててからの、歴史を感じておりました。
そして、先ほど大源寺だより第7号の原稿が完成しました。歴史を継承して、後世に遺す心を構築していこうと感じるところです。
明日に迎えた曾祖母の五十回忌の準備をしております。
「これ、一寛くんよ。早よう安心させてくれ。」との声に、「何のことですか。」と返しています。