確か奈良の薬師寺の管主を勤められた高田好胤和上がおっしゃったお言葉と思いますが、「布施のないお経を読めたら一人前。」とお弟子さんに指導されました。
喜捨のお気持ちをお持ちいただくために、お参り先でお出しいただくことが「お布施」の本来の意味ですから、お経を読む僧侶の側も「喜捨」の気持ちが具わっているのがあるべき姿との教えなのでしょう。
先日、縁あって路上生活をされるの方のお弔いをしました。ひっそりとお弔いをするのかと思っていたら、大勢のお仲間が会場に集まっておられました。
「皆さまにお集まりくださったことは、故人のお人柄でしょう。」とお話ししてお経を始めました。
お寺を運営するからには、お布施を対価と考えることは止むを得ないことです。しかし、ただひたすらに故人の最期のお見送りをされるお仲間の姿に心を打たれ、喜捨の心を教わったようでした。