愛知県犬山市にある瑞泉寺へ行ってきました。
僧堂(修行道場)の冬安居(ふゆあんご 冬の修行期間)の開講式でした。玄玄庵 小倉宗俊老師が、永嘉玄覚禅師の「證道歌」を提唱されました。「学問というものを詰め過ぎてはいけない。冷蔵庫の中に食材を詰め過ぎてしまうようなものだ。この世には次から次へと煩悩が湧き起こってくる。煩悩がどういうものかを知り、どうコントロールするのか突き詰めていくのが修行である。」と説かれました。
偶然にも、次号の大源寺だよりに同じ内容を記載しようと原稿を書いているところです。構想を膨らませることができました。
惑わずという「不惑」の年齢になっても、煩悩をコントロールすることは難しいことです。こんなものかと客観視することから菩提心へとつなげる「煩悩即菩提」のイメージを思い浮かべておりました。
「イライラと思い外へ出て、瑞穂が稔っているのを見て、心を落ち着ける。」というような日頃の習慣づけが土台になるようです。