月に一度の法話の会である无名会で臨済録の講義を参加してきました。
臨済禅師と雲水(修行僧)とのやりとりを描写されている場面です。雲水が仏法の大意を質問します。臨済禅師が払子(ほっす 馬のしっぽのような持ち物)を振ると、雲水がその意を汲み取ったようで、「喝」と言います。臨済禅師は、意図するところが通じたことを感慨深く思ったようで、「指導する立場になった俺にも教えてくれる人がいればいいのに。」と言われたというやりとりです。
ふとした仕草から、弟子がその意を汲み取ったところが着目するところであるようです。これまできつく指導してきたことを、弟子がそっくりそのままお返ししたことに驚いたことでしょう。
この頃、一回りも離れた若い人と話していて、私が言葉に表すことの難しかった事象を、端的に分析していたことに驚いたことと重ね合わせておりました。
何年も人生を重ねて読み取ることのできる、臨済録の深さを感じております。