祖父が高等専門学校の名誉教授の称号をいただいた書類が出てきました。
父も教職員を目指していたようで、教員免許が出てきました。
うちは、教職員の一家であったことを思います。私のやり方を見て、父も祖父もヒヤヒヤしていると思います。
祖父が高等専門学校の名誉教授の称号をいただいた書類が出てきました。
父も教職員を目指していたようで、教員免許が出てきました。
うちは、教職員の一家であったことを思います。私のやり方を見て、父も祖父もヒヤヒヤしていると思います。
書庫を掃除していると、雲水(修行僧)の時の記念写真が出てきました。
真ん中で、前から2番目に立つとは、遠慮のないことをしたと反省しています。
中日新聞にお寺との関わりの悩みが記載されていました。
コロナ前までは、檀家さんが集まって、行事の際にお出しする御斎(おとき 昼食)の炊き出しをしていたものです。
私が住職の実務を担うようになってから、「いつまで、こんなことを続けるのか。」という声が多くなりました。
思い切って、お弁当に変えて、高齢化する檀家さんの負担を減らしました。
檀家さんが集まって、「我々のお寺を支える。」という文化はすばらしいものです。今では「檀家さんの依頼を受けた住職が、お寺の価値を高める。」ことに移行してきたと思います。
これには、ビジネス的という批判もあるのでしょう。
昔の価値観のままで行事を続けることへの疑問が多くなり、限界が出てきたのではと思います。
幼い頃は、煙突からサンタさんがやって来ると信じていました。
ほこりだらけの物置から、小さな頃に使った木魚が出てきました。強く叩いて布団から落ちるので、糸で押さえられています。
幼い頃を思い出す木魚が、クリスマスイブに出てくるとは、不思議なことです。
地域の100世帯に戸別訪問して、大源寺だよりの新号を配布しました。心待ちにされる方がおられて励みになります。
午後からは、檀家さんの祥月命日のお参りを本堂で行いました。
この数年は新しいご縁作りに力を入れてきました。古くからのご縁を大切にしてこそ、お寺の基盤が固まると思います。
書棚の整理をしていると、古い日記が出てきました。小学校何年生の時でしょうか。
紅葉の落ち葉が樹木葬墓地に広がり、いつものように掃き掃除をしていました。
今日は冬至です。この日から、良いことが上昇してくるようにと望んでいます。
永代供養墓には、お花が手向けられて、お供え物がありました。
寒いところお参りいただき、感謝しております。
大源寺だより第13号の印刷が終わり、近くの檀家さんから配布をしております。
中学3年生の時、どういうわけか新聞委員長になってしまい、オロオロしていたことを思い出しました。
当時はまともに原稿が書けなかったのですが、不思議なことに書き進めています。仏様の力をお借りしております。
書棚を整理していると、修行同期の和尚さんの入寺式の写真が出てきました。