本堂がライトアップされているかのようです。
近くにスポーツセンターがあり、野球の試合が行われているところです。
借景ではなく光を借りる「借光」です。
本堂がライトアップされているかのようです。
近くにスポーツセンターがあり、野球の試合が行われているところです。
借景ではなく光を借りる「借光」です。
門の前を広角度で撮影してみました。
30年前は、鬱蒼と木が生い茂っていて、私と年の近い小学生の遊び場でした。
私は仲間の輪に入ることなく、屋内で自分の好きな歴史小説を読んでいたものです。
お寺を開放するには、住職が先陣を切らないことには始まらないのです。
夕暮れ時に、樹木へ水まきをしています。
これまで咲くことのなかった花が咲いています。カエルを起こしたようで、にらまれています。
のんびりした空気が住職を励まします。
月に一度の法話を聞く「无名会」の世話人一同で、講師に名古屋までお越しいただく、木村太邦老師へのご挨拶に、神戸市の祥福寺までお伺いさせていただきました。
門を入ると、山田無文老師の書かれた石碑がありました。僧堂に入る前に、大学の同級生から、山田無文老師の功績を書かれた冊子を借りて読んだことを思い出しました。
本堂へ上がって、山田無文老師の木像の前でお経をあげて、境内を拝観させていただきました。
拝観した後、書院でご馳走を頂戴して恐縮しておりました。
山田無文老師は、最初は法律家を目指されて、早稲田高校に進まれたようです。及ばずながら、私も法律家を目指したこともありました。「法律は人を裁くものであるが、仏法は人に慈悲の心をもたらすものである。」と説かれたようです。
法律家を目指して断念することに葛藤がありました。多くの人に仏法を説かれ、今なお慕われる山田無文老師のお心が伝わってくるようでした。
大雨の中、永代供養のためにお越しくださいました。
今日お越しくださった方は、高校時代の同級生です。
お父様がお亡くなりになり、縁あってうちのお寺で永代供養をさせていただくことになりました。
23年ぶりの再会となったのは、お父様のお導きであるのかもしれません。
法要が終わると、雨が上がっていきました。
納骨壇や永代供養墓のお問い合わせや申し込みが増えています。
心配なのが、うちのお寺の事務処理能力です。「消えた〇〇記録」のように、お預かりする霊位の記録の管理が散乱することはあってはならないことです。
クラウドに入力して、記録の管理をしています。
本堂に、古い位牌があります。写真にある3つの位牌は、祖父の3人の兄弟のものです。3人とも早く他界されたようです。お墓はお寺の中ではなく、集落墓地にあります。
3人の記録をクラウドに入力したところです。お墓をいずれはお寺の中へ移したいと考えています。
これまで光が当たることのなかった故人に、手を合わせることができるのは感慨深い思いでいます。
毎日更新するブログとは対照的に、掲示板の貼り替えは滞っていました。
「善行を積んでいれば、心を豊かにしていく。善行の積み重ねが多くのご縁をつなぐことになる。」と掲げさせていただきました。
穏やかな気候のためか、毎日のように永代供養のお問い合わせをいただきます。いつお見えになってもいいように善行を積もうとしております。
書棚を整理していたら、履歴書の写真が出てきました。
誰の写真かと思ったら、私の15年前の面相でした。右往左往していたことを思い出します。
この姿で近所の簡易郵便局へ行き、臨済宗妙心寺派の宗費を納めに行ったことを思い出しました。
受付には高齢の女性がいました。「お兄ちゃん、信用金庫の人やね。お寺の奥さんに頼まれて、納めに来たんやね。ご苦労さん。」と声をかけられました。
いろんな経験をしたものです。今になって無駄ではなかったと思います。
「私の世代は我慢して年金保険料を納めている。子どもの世代にまで納めるように言えない。」とは、15年前に国民年金保険料を徴収していたときに聞いたメッセージですが、今では同じ意見をお寺に寄せられるのです。
15年前の経験をもとに、「①檀家さんの負担を減らしていく。②先例踏襲に頼りきらない布教を進める。③お寺との関係性があってよかったと思える環境を整える。」ことを実行に移して行こうと思案しています。
本堂を修復したのは、19年前のことです。檀家さんや地域の皆さまから多くのご寄進をいただきましたが、お役に立つことはできませんでした。
異なる宗派というしがらみで、私のほうが壁を作っていたようです。
この近年、壁をなくそうと努めてきました。
今日、ご近所の方から「納骨壇を使用したい。」というお問い合わせがあり驚いております。
これまでの縁をつないで、仏さまの教えを広めることができることに感謝するばかりです。