臨済録

一昨日、名古屋の栄にある政秀寺で、木村太邦老師の「臨済録」の講話をお聴きしてきました。

臨済録とは、臨済禅師とお弟子さんとのやり取りを記録したものです。臨済宗の修行を経て、仏教やお寺の世界の全体像を俯瞰してからのほうが、読み解きやすくなるようです。

麻谷(まよく)という先輩僧が、臨済禅師に問答をしかけます。「多くの眼や手がある千手千眼観音さまの眼はどこが正面か。」と尋ねます。臨済禅師は、麻谷を壇上に引っ張り出して自分は聴衆席に座って「ごきげんよう。」と答える場面です。

「それで何を言いたいのか。」という質問が飛ぶことでしょう。「観音さまのお姿は、正面も背面もない。そして質問するあなたも私も一体のものなのだ。あなたもおわかりでしょう。」ということを、ご自分の行動で示されたようです。

以前、昼間からお酒を飲んで、役所窓口で毎日のように苦情を言う人がいました。偶然に出くわして、私が僧侶であることがわかったようです。
「おい坊主、一休さんは本当に橋の真ん中を渡ったのか。」と尋ねてきました。私は、「一休さんは型にとらわれず、お酒も異性も好きだったんだ。それはおじさんも私も同じことでしょう。」と返したものです。おじさんは笑っておられました。

言葉に表すことが難しく乱暴な表現もあるのですが、臨済禅師の教えは、「あなたと私は一体のものである。」という優しいものなのです。

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