この庭の名をどうしようかと考えていました。
臨済録にある「曠然に自適す。」から「曠然苑(こうねんえん)」と名付けました。迷いや煩悩をコントロールすることができれば、大らかに生きることができるという願いを込めてのものです。
先日、神戸市の祥福寺にお伺いしたおり、木村太邦老師から、「自由とは自らによることである。自らを確立したところに、大らかに生きる自由を得られる。」というお話しをお聴きしました。
私はまだまだ自由を得ることができず、迷うことがあります。「自分の身体を第一に考えなさい。」と言われたことにハッとしたものです。
自由を得てゆったりとする境地「曠然」へたどり着くには永遠の目的であるのです。
祥福寺で「曠然室老大師」と書かれていました。どなたのことかとお尋ねすると、木村太邦老師の室号であることを聴いて驚いていました。