僧堂

img_0829

20年前に修行させていただいた愛知県犬山市の瑞泉寺まで行ってきました。
今日は入制開講式と言って、僧堂の雪安居(冬の修行時)の始業式です。
お勤めの後、玄玄庵 小倉宗俊老師の提唱をお聴きしました。

永嘉真覚(ようかしんかく)禅師という中国の唐の時代の和尚さんの「証道歌」という語録が題材でした。「君 絶学無為の閑道人を見ずや」で始まる禅の修行の心構えが書かれています。「完璧である人などいない。妄想や無明をコントロールすることができれば、それこそが仏性なのである。」という解釈がなされています。
老師は、「よく整えし己にこそまこと得難き己をぞ得ん。」という言葉を用いて、「自分自身をコントロールして、おかげさまの心を持つ。」ことが禅の修行の第一歩であると説かれました。

20年前は、老師の提唱のときは意味がわからず、居眠りをしておりました。この歳になって、自分の解釈を述べるようになったのも、禅とは実体験に基づくものであるかもしれません。当時は昇り降りのきつかった石段を、今日は軽やかに歩くことができたことと重なるような気がします。

今日の老師のお話しを、「大源寺だより第5号」に引用していこうと考えております。

img_0828