詩集百選

漢字が多くてわかりにくい仏教の教え禅の教えを、どのように説くのか。11年前に故松原哲明和尚さまから、詩歌を用いることを教わりました。法話の原稿に詩歌を入れましたが、詰め込みすぎていて「コピペ」の状態であったことを思い出します。

横田南嶺老師が、敬愛される仏教詩人の坂村真民先生の詩集百選を出版されました。日曜説教での講義を元に拝読しております。
坂村真民先生は、詩に「たんぽぽ」を多用されるようです。「たんぽぽの種のように、どんな遠いところへも飛んでいって、その花言葉のように、幸せをまき散らしたいのです。」という詩には、観音さまの慈悲の心を思い浮かべます。

理屈でわかっていても心の琴線に触れるお話しをするのは、一生かけて積み上げていくものでしょう。

私はたんぽぽではなく、稲穂とか瑞穂という言葉を多用します。農村地帯の生まれ育ちであり、苦心して稔ることを見ていたから、一念を貫く思いを託しているのです。

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まいてら

「まいてら」というポータルサイトのお仲間に入れていただきました。
住職になった時は、「どうお寺をやって行くの。」と誰しもが思いました。私も不安で投げやりになったときもあります。

皆さまにお支えいただき、ここまでたどり着くことができました。
こうして学び合い仏縁を広げることができる不思議に感謝して、今後も修行を続けていきます。

 

下記のURLをクリックしていただくと、まいてらをご覧いただけます。

春日山 大源寺 – 岐阜県安八郡 – 臨済宗妙心寺派 – 詳細

 

歴史の継承

快晴の空の下、曾祖母の五十回忌と父の三十三回忌の法要を勤めさせていただきました。
昭和15年にこの本堂を建ててからの、歴史を感じておりました。

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そして、先ほど大源寺だより第7号の原稿が完成しました。歴史を継承して、後世に遺す心を構築していこうと感じるところです。
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五十回忌

明日に迎えた曾祖母の五十回忌の準備をしております。
「これ、一寛くんよ。早よう安心させてくれ。」との声に、「何のことですか。」と返しています。

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掲示板

伝道掲示板のポスターを貼り替えました。
「たくさん泣いて転んだからこそ、優しくなることができる。」と私の人生観のようなものを掲げさせていただきました。

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煩悩

大源寺だより第7号に、「煩悩」を取り上げて原稿を書いています。
20時過ぎの帰り道に、若者のあおり運転に遭遇しました。
まさか飲酒運転ではないとい思いますが、運転免許を取り立てで高揚していたようです。私の顔を見るや「このハゲ。」と叫んできます。煩悩のうちの「貪り」かと眺めておりました。怒っては「瞋恚(いかり)の炎」になってしまいます。冷静に眺めておりました。

かくいう私も、以前は飲酒をすると絡むという煩悩に取り憑かれたものです。先日、旧友とあった折、「今は絡むことはなくなったよ。煩悩即菩提と言ってね、煩悩が仏さまのような心に行き着くことがあるんだよ。」と話していました。

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無駄骨を折り続ける。

17年前の写真です。この時だけは、真ん中に私がいました。向かって左側の和尚さまが、次に臨済宗妙心寺派の管長になられる小倉宗俊老師です。
この時は私は24歳です。「彼はいつまで持つのかな。」と誰もがお考えになりなったのですが、老師の「無駄骨を折り続けることが修行である。」のお言葉のもと、しぶとく生き抜いております。

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本来無一物

「最近は投稿が少ないね。」とのコメントをいただきました。
「大源寺だよりの原稿を書き終えたら、じっくりとやりますよ。」とお答えしました。考えすぎてフリーズしているのかもしれません。

「本来無一物」と自分の内面を見つめたら、よいテーマが思い浮かぶことでしょう。

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仏心

大源寺だよりの原稿を書いているのですが、思うように進まずにおります。
昨晩、何か参考となるものはないかと考えておりました。今朝になって外出しようとすると古い冊子が無造作に置いてありました。手に取ると、円覚寺の管長を勤められた朝比奈宗源老師の本でした。

電車の中で読んでおりました。「仏心とは元からこの世に具わるものである。」ということばかりでなく、お寺の檀家さんは、和尚さんに成仏する手助けのためについてくるのではない。今の問題を解決する手助けを求めている。」と40年以上も前に、現在のお寺の状況を言い当てておられることに驚いております。

母にこの本に心当たりがあるのか聴いたのですが、まったく心当たりがないようです。「この世は仏心に包まれている。」と信じるところに、亡き父か祖父母が見つけ出して置いていったのではと考えております。

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先月までの雨空とは打って変わったかのようにきれいな空を、朝な夕なに見上げておりました。

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