お寺の枯池には、溢れるほどの雨水です。
33年前までは、鯉が泳いでいたものですが、近くの川の水位が下がった影響で枯れてしまいました。
幼い頃を思い出すことが多くなりました。
お寺の枯池には、溢れるほどの雨水です。
33年前までは、鯉が泳いでいたものですが、近くの川の水位が下がった影響で枯れてしまいました。
幼い頃を思い出すことが多くなりました。
一昨日のこと、樹木葬墓地の問い合わせがありました。80歳を超えた女性が、車を運転して来られるとおっしゃいます。
万が一のことがあってはと、ご説明に出向きました。
法衣ではなく洋服のほうが気楽に話せます。「こんな近くにあったんだね。」と喜んでくださいました。
今日は夏至から数えて11日目にあたる「半夏生(はんげしょう)」です。
おおよそこの日に梅雨が明けるとされています。
私が半夏と聞くと、夏の90日の修行期間の折り返し地点で、「半夏大摂心(はんげおおぜっしん)」を思い出します。「まだまだ先が長い。」と感じたものです。
役割を終えたあじさいを見かけました。
この地方も梅雨明けしたようです。
一昨日の集中豪雨が夢であったかのようです。
月刊住職という月刊誌を読んでおります。臨済宗の和尚さんが精神科医をされている記事があり、頼もしく思います。
ゆっくり読んでいると、私の名前がありました。「自死遺族にどういう言葉をかけたらいいのか。」という質問に答えさせていただきました。
創刊当初は、「いつまで続くかな。」とささやかれた大源寺だよりは第8号に到達することになりました。
今回のテーマは「戒め」です。「みだらな行いをしてはいけない。お酒を飲んではいけない。」などの5つの戒めを、どう日常に活かしていくのかを書き進めました。
校正をして、来月半ばには刊行する予定です。
ソテツがきれいに刈り上げられました。
27年ほど前に流行したパイナップルヘアという髪型を思い出します。
ソテツは、枯れかかったとき鉄を打ち込むと蘇るという伝承から「蘇鉄」と名付けられたようです。
こちらのお寺の住職は、鉄を打ち込まれると落ち込んでしまいます。お尻に火がつくと蘇るようです。
「病は不自信にあり。」とは臨済録にある言葉です。自信がないばかりに、外的要因を探し回ることを臨済禅師はいさめておられます。
かくいう私も自信を持てません。自信が持てないばかりに、病(やまい)のようになることはしばしばです。
自分の気持ちをコントロールすることは難しいものです。私の場合は、「自分の力ではどうにもならない。ささえてくれる人がいるから、何とかなる。」と気を落ち着かせています。コントロールする精度が回復するかのようです。
飛行機雲の後には、きれいな夕焼け空が現れてきました。
仏教伝道協会に勤務される増田さんから、「正しいことば」という本を送っていただきました。
8つの正しい行ないのうちの、「正語」と言って、正しい言葉というのですが、何が正しいのかは、個人によって異なります。
「人を思いやる優しい言葉」ととらえています。正しいと言って論破をするのではなく、思いやり導くことが正語の本来の意味であると解釈しています。
この本を拝読していると、臨済宗のような表現が出てきます。花園大学の学長をされた西村惠信先生が執筆されたものです。高校時代にお世話になった先生の同級生で、私の修行同期の和尚の大学のゼミの先生です。
いろんな縁に結ばれていることを知るには、荒々しい言葉を用いることなく、穏やかな言葉を用いることが欠かせません。