日曜日返上で、大工さんが鐘楼の修復工事にお越しくださいました。
休憩されている間に、世間話のように建築のことをお聴きすると、丁寧に教えてくださいます。
多くの皆さまのおかげのもとに、お寺の伽藍(建物)があることを改めて感じております。
住職になったばかりの頃、本堂の修復工事のおりは、根拠のないプライドのもと、大工さんとの会話も疎かにしておりました。
お寺の近くの田んぼでは、田植えが終わって、水稲がきれいに並んでおります。この水稲も秋には稲穂となって、頭を垂れるようにゆらゆらとします。
「実るほど頭垂れたる稲穂かな。」という句があります。年を重ねるごとに、美しい瑞穂のように、しなやかに謙虚に皆さまとのコミュニケーションをしていきたいものです。