名古屋に政秀寺で、臨済録の講話を聴いてきました。
僧侶としての修行を積み重ねた上で、臨済録を読むと理解が深まるようです。
「自分自身というものを忘れて、環境に身を置くと見えてくるものがある。」というくだりがありました。
人は感情によって動くものです。感情から解き放れて見ると、雨の音や車の音が聞こえてくる。
街の喧騒も聞こえてくる。お寺から北に1キロくらいのところには、錦という繁華街があるようです。次は「環境を忘れて、自分自身に身を置く。」という繰り返しが、かたよらず、とらわれず、こだわらずに生きていくことができることを、臨済禅師は親切に解かれたようです。