年の暮れが迫ってきております。お寺では早くもお正月を迎える準備をしております。
世間ではクリスマスイブです。サンタさんは、多くの子どもにプレゼントを送り届けるのです。サンタさんのように無限の慈悲が届くことを願っております。
観音さまの無限の慈悲を、観音経では84,000にも及ぶと説かれています。最近では「35億」と歌われることがあります。数え切れないほどの無限の慈悲に包まれていることを知るクリスマスイブになることを願っております。
年の暮れが迫ってきております。お寺では早くもお正月を迎える準備をしております。
世間ではクリスマスイブです。サンタさんは、多くの子どもにプレゼントを送り届けるのです。サンタさんのように無限の慈悲が届くことを願っております。
観音さまの無限の慈悲を、観音経では84,000にも及ぶと説かれています。最近では「35億」と歌われることがあります。数え切れないほどの無限の慈悲に包まれていることを知るクリスマスイブになることを願っております。
冬至を過ぎて、寒さは一休みという日和でした。
本堂を見上げると、小鳥が空を眺めています。
庭の隅には南天がきれいになっています。
鳥や樹木がお正月の準備をしているかのようです。
今上天皇のお誕生日です。臨済宗のお寺では、天皇のお位牌を正面におまつりする習わしがあります。
戦前の皇国史観を継承している側面もあるのでしょうが、国民統合の象徴として、全国を訪問されてメッセージを送るお姿に礼拝することが求められると考えております。
次に皇位を継承される皇太子さまは、どこまでもお妃を守り続けるお姿は、家制度が薄らぐ現代において見習うお姿です。
11年前、臨済宗妙心寺派の岐阜教区の法話講習会でこんなコメントがありました。私が10分の法話を発表した後に、「皇太子殿下のような語り口だ。もう少し精進して、お坊さんらしく話しなさい。」という辛辣なものでした。
時代の変遷に合わせて、かつ自分の信念を貫く天皇のお姿に礼拝させていただきます。
冬至とは「日の出から日の入りまでの時間が、一年のうちで最も短い日」です。今朝は6時40分頃のゆっくりした日の出でした。
観音さまは、いつもと変わらずこの世を見渡しておられます。毎日の移り変わりを観察されています。空模様ばかりでなく人の表情からすべてを読み込まれます。
優しく「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」と安心の毎日を送るように手を尽くしてくださいます。
雲一つない青空が広がっています。
煩わしいことを忘れさせてくれるようです。
大源寺だよりに煩悩ということを取り上げました。「この世のためにお役に立ちたいと思う。けれど煩悩が邪魔をする。」と冒頭に挙げました。
体験談として挙げようとしたのが、27歳の頃の思い出話です。「修行仲間の和尚が住職をするお寺に、これから行くと電話を入れて伺う。けれども彼は居留守を使うわけではないが、出てこない。奥さんによろしくと言って退散した。」というストーリーです。親しいと思っていたから、一層に腹立たしい思いをしたものです。怒りという煩悩に包まれていました。
よく考えれば、彼は疲れていたのでしょう。檀家さんとや和尚さん仲間との関係は、優秀な人でも二十代ではまとめられない。近い関係だから、「桑海くんはわかってくれる。」と考えていたことと今になって思います。
「観音妙智力」という経文の一句があります。「貪欲や怒りの煩悩を観音さまが吸い取ってくださる。」と解釈しております。晴れた日こそ「観音妙智力」と大きく唱えております。
ホームページ更新用の写真を撮っております。
32年前の小学生の運動会のとき、父がカメラを買い揃えていました。
「来年はビデオカメラを買う。」と言っていましたが、買うことはありませんでした。
今ではiPhoneで写真も動画も撮れるのですから、父も驚いていることでしょう。
庭の草木を雪がほんのりと覆っています。松は「八風吹けども動ぜず。」と、どっしりと構えています。
大源寺だよりを、ご近所のお宅に配布してきました。皆さまが楽しみに待っていてくださいました。
これまでは、「動ぜず。」と自ら外に出ることは少ないものでした。自ら歩いてご意見を伺うと視界が広がるようです。
掲示板のポスターを貼り替えたところです。「いいことをしようか迷っていると、いいことは逃げて行ってしまう。進んで善行を積みましょう。」という思いを掲げたところです。
昨日お葬式にお伺いしたお宅の喪主のご夫婦が、お寺までお参りくださいました。
非礼にも私は不在にしており母が応対しましたが、これまでの関係性を感慨深く辿っておられました。
そういえば25年程前、私が小僧の身で、その家のおじいさんのご葬儀に参列させていただきました。そんな記憶があるのが、お寺に住む者の強みなのでしょう。
江戸時代は、寺請制度というシステムのもと、現在の戸籍システムをお寺が管理していました。行政が管理するようになったことにより、お寺と檀家との関係性が弱まっている一因ではないかと思います。
お寺が檀家さんやご縁のある皆さまに向けて、「気にかける。」という姿勢こそが問われているようです。
強い風が吹く中、青空の広がる一日でした。
ご近所の浄土真宗の門徒さんのお宅のご葬儀に参加させていただきました。宗派が異なっても、地元のお寺として信仰してくださる関係性はありがたいことです。
控室で浄土真宗のお寺のご住職と雑談をしていました。大源寺だよりをお渡ししました。「桑海さん。説教は専門用語を使っても伝わらない。聴き手の日常生活にあわせていくと自ずと伝わるんだよ。」と教えてくださいました。
お釈迦さまの教えを継承していくには、宗派の違いにこだわっていては持たないのです。これまでは、「近いだけの関係」であったのですが、僧侶として向かう方向は異ならないのです。