35度を越す気温に、熱中症で倒れる人がいないかと心配しております。
お寺では鐘楼の修復にあたり、職人さんが炎天下のなか、柱と梁のお磨きをされています。
ご無理をなさらないようにと、心配しております。
35度を越す気温に、熱中症で倒れる人がいないかと心配しております。
お寺では鐘楼の修復にあたり、職人さんが炎天下のなか、柱と梁のお磨きをされています。
ご無理をなさらないようにと、心配しております。
これまで、大源寺では仏教の教えを、ご近所の皆さまにお伝えすることはありませんでした。
儀礼をこなすばかりでお寺離れが近づいている現代で、日常生活の仏教の教えをお伝えすることが必要であるとの思いから、お寺の境内の道沿いに、伝道掲示板を設置させていただきました。
道行く人が、目を止めてくださることを願っております。
お寺の住職というと、宗教的指導者として、多くの皆さまを教化していくことが第一義です。
教化活動に加えて、宗教法人の主宰者として、組織を束ねていくことも大切な役割です。
檀家さんと一体となり、健全な財政状況で宗教活動が進められていることを、行政庁にお知らせするために、書類を作成しております。
お寺が社会のなかで生かされていることを、改めて感じております。
小雨の中、鐘楼の瓦葺の工事が進められています。
職人さんのコツコツと手を動かす姿勢は、まるで修行僧のようです。
工事の合間に、庫裡のほうに手すりを付けてもらいました。
雨にも夏の暑さにも負けず、職人技を見せてくださいます。
7月に入りました。7月1日は半夏生といい、この日までに田植えをしないと秋に稲が稔らないという言い伝えがある日です。
うちのお寺の場合、この日までに施餓鬼会のお知らせをしないと、8月7日の当日に準備が間に合わないという言い伝えがある日です。
檀家さんやご近所のお寺の和尚さんに、施餓鬼会のご出席とお手伝いをお願いする文書を作成して、投函したところです。
鐘楼の工事は、瓦を葺く段階に入りました。
雨の中、職人さんがコツコツと葺き作業をされています。
頑強な下地ができた上に、きめ細かい技が施されています。
小さなことを徹底して追求する凡事が徹底されて、末代へ続くものが仕上がっていくのです。
大源寺だより第4号に掲載する、達磨さんの像の写真を撮っております。
達磨さんの靴を脱いで、坐禅を組んでおられます。台座の靴を写し忘れてはいけません。
達磨さんは、靴を片方だけ履いてインドへ戻られたという伝説がありますが、お寺を引き締めていただくために、靴を用意しております。
供養という名のもと、檀家さんのお宅へ行き、ただお経を読むという儀礼を行うことが僧侶の勤めではありません。
そういうことを知ることができたのは、ごく最近のことです。宗派を超えたお坊さんのご縁ができたからです。
三重県の津市にある、真宗高田派の潮音寺まで行き、自死遺族の悲しみを分かち合う会に参加させていただきました。
これまで「こうあるべき。」と説いてきましたが、理屈で悲しみを抑えることなどできません。ご遺族のありのままの感情に寄り添い、今後の人生を明るいものにしていくお手伝いが必要なのです。
「年々にわが悲しみの深くして いよよ華やぐいのちなりけり。」という岡本かの子さんの歌を教えてくださいました。年ごとに悲しみは増していく。その分人間の輝きというものは増していくということなのでしょう。
「大源寺だより第4号」のゲラ刷りが届いたところです。
住職の書いた原稿の量が多過ぎて、業者さんにはお手数をおかけしました。
もう一度校正をしております。
今号から、「読者からのおたより」の欄を新設しました。
皆さまからのお声をいただき、より良いものに仕上げていきます。
禅の教えとは、自分自身のことを究明して行くことです。
自分のことをわかっているつもりでも、怒りのあまり自分を見失うことは誰にでもあることです。
心の中を暴れ回る牛を飼い慣らして、安心へと導く「十牛図」というものがあります。クルマを運転するように、自分の心を使いこなすことが大切であることを伝えてくれます。