一華五葉を開く。

山門前のチューリップが開きかけております。あともう少しで花が開きます。

「一華五葉を開く 。 (いっかごようをひらく)」という禅語があります。花が咲くことによって、人間の5つの智慧が開かれるとの解釈をしております。

①大円鏡智  生まれながらに持つ、ありのままの心

②平等性智  すべてのものが仏性を有して、平等であること。

③妙観察知  平等のなかにも、それぞれ個性があり、違いがあると知ること。

④成所作智  仏の心と同じく、他を思いやり大切にする心。

⑤法界体性智  身の周りにあるものは、仏の心の現れと知る心。

 

暖かくなり、人の心もゆとりが出てきます。花に仏さまの智慧を教わるとは不思議なものです。

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念ずれば花開く。

お彼岸のお中日が来るのを待っていたかのように、桜の開花宣言が出されております。

大源寺の庭では、チューリップの花が開いております。

寒い冬の間、暖かくなることを願っておりました。そんな願いがかなうかのような開花です。

「念ずれば花開く」という詩を思い浮かべております。

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鶯は春暖に逢うて

日中は20度を超える気温にまで上昇してきました。

お寺の庭では、鶯(ウグイス)が鳴いております。鶯の声につられて、庭に出ていく住職です。

「鶯は春暖に逢うて歌声滑らかに、人は時平に遇うて笑瞼開く。」という禅語があります。

寒い毎日であった1月前とは異なり、鶯の鳴き声が人の心を和ませてくれます。

ただ、花粉が蔓延しております。笑って瞼を開くとはいかないのが辛いところですね。

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水離れて元海に入り

朝の長良川の風景を撮ってみました。

岐阜県の西南に位置する西濃地方は、木曽川 長良川 揖斐川と3つの川に囲まれる平野地帯で、水害に悩まされてきました。

生活を潤すこともあり おびやかすこともある水もやがては、海に帰っていきます。

 

お葬式のときにお唱えする引導のなかで、「水流れて元海に入り、月落ちて天を離れず。」という禅語を引用することがあります。「この世での人の命が絶えたとしても、海に入る水や、見えなくなる月のように、消滅することなく、大自然の命となって生き続ける。」ということです。

 

日頃の何気ない風景にも、大いなる命が宿るものです。

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三重の塔

 

大源寺の庫裏には、奈良の薬師寺の東塔の木製ミニチュアがあります。

六重の塔のように見えますが、小さな屋根があるためで、実は三重の塔なのです。

31年前の10月24日に、住職の祖父が土産に買ってきたのですが、同じ日に住職の父が亡くなったこともあり、因縁浅からぬものです。

いま奈良の薬師寺では、東塔を写経の奉納による勧進のもと、修復されているようです。大源寺の先代住職が、「薬師寺を見習って、勧進をして鐘楼を修復せよ。」と住職に指示しているかのようです。

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分別をなくすこと。

「分別をわきまえる。」とは、「自分自身の立場をわきまえて、社会のルールを守る。モラルを保つ。」と意味で用いられます。

仏教の禅の教えでは、「分別をなくせ。」という教えがあります。突拍子もない表現です。

禅で否定される「分別」とは、物事を判断するにあたっての「固定されたモノの尺度」です。例えば、平成の始めの頃に「三高」というモノの尺度で、人の価値を評価されることがありました。「「高身長、高学歴、高収入。」の三つが整えば、その方の未来は明るい。」という根拠の乏しい常識が通用していたものです。

世間の評価がどれほど正しいのか客観視するために、分別をなくすことが求められるのです。

 

禅の修行では、世間での評価というものをリセットすることから始めます。遮光レンズを外すためにリセットを求められるのです。そうして、古くからの仏さまの教えや禅の教えを、吸い込むように身につけていきます。

一旦リセットした価値観を否定せずに、客観視することが、お釈迦さまの説かれた「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静   (この世のものはすべて移り変わる。いかなるものも、とらわれるものはない。とらわれの心をなくしたところに、安らぎの境地がある。」という境地へとつながるのです。

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入母屋破風桟瓦葺き屋根

先日、東京へ行き、鐘楼修復にあたり、インターネット上で勧進を求めることの相談にお伺いしました。

鐘楼修復を呼びかけるには、その文化財的な価値を示していく必要があることをご指導いただきました。

建築のことをあまり知らない住職は、設計士さんからいただいた資料をもとに、「入母屋破風桟瓦葺き屋根」という建築形式であることを知りました。上部の切妻の部分に破風を差し込んで、下部の四面に庇や屋根を取り付けた建築形式をいうようです。お城の天守閣にこういう建築形式が用いられたようです。

 

大正8年の頃は、いま以上に経済的に苦しい状況であったのですが、100年近く保つことができたのは、妥協を許さない先人の心意気があったことを感じることができます。

 

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法縁の継承

宗派を超えたお坊さんの集いである「未来の住職塾」のフォーラムと卒業生の集いに参加させていただきました。

宗派を超えた課題として浮かびあがってきたことが、「法縁の継承」すなわち仏教の教えやそのもとに形成されてきたつながりを、未来に向けても絶やすことなく継承していくことです。全国のお坊さんとの交流を深めて、大源寺の現状に見合った取り組みをしていこうと、思いを新たにしました。

 

その後、住職塾のメンバーでイスラム教のモスクへ拝観に行きました。西北西のメッカのほうへ向かって礼拝されるお姿を拝見して、7世紀に成立したコーランの教えを、未来へ向けて継承していこうとする強い信念が伝わってきました。

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平常心是道

華道とは、全体の調和と時節との一体感が、総合的を美しさを醸し出すものであると考えております。

お寺というものも、住職の人間性や宗教的な指導者としての発信力が問われることが多いのですが、土台なるのは、お寺に住む家族の一体感や、お寺を支える檀家さんや信者さんとの意思の疎通が大切になってきます。

宗派という枠にとらわれないお寺や僧侶との連帯感も大切です。そのトータルなバランスを維持することは、日頃からの良好な人間関係を築いていくことが欠かせないのです。華道のような調和を図るには、「平常心是道(びょうじょうしんこれどう」と、日頃の平常心の維持が大切となります。

 

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馬酔木

暖かくなってきましたが、これからしばらくの間は、花粉症に悩む毎日になるのではないでしょうか。

季節の変わり目です。お身体にお気をつけください。

お寺の鐘楼の下には、あせびという植物が色づいております。

あせびは漢字に当てはめると、「馬酔木」と書きます。馬が酔うほどに、一面にきれいな花が咲いているということでしょうか。

万葉集に、「我が背子に 我が恋ふらくは  奥山の  馬酔木の花の  今盛りなり。」という歌があります。密かに秘める恋心を詠っているようです。それほどに人心を惑わす馬酔木の花なのです。

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