暮らしのメリハリ

朝晩は寒くなりましたが、昼間は暖かく窓を開けていると心地よいほどです。

お墓の見学のお客様がお越しになり、ご案内しておりました。それから思いたったように掃除を始めました。案内するうちに、「いろんなお墓がありますが、書類が整っているか、きれいに掃除されているのかで見定めてくださいね。」とお伝えしました。

樹木葬墓地のタマリュウの色が青々としてきました。やはり水を与えて、日陰を作っていかないと持続しないようです。これは人知がなくては、枯れていってしまいます。

ゆったりとしつつ迅速にという、メリハリのあるワークライフバランスががあって、持続していき信仰があって安心に行き着くと思います。
「馬車馬のように働く。」とは、若いうちの鍛錬にはなりますが、壮年になってからの持続は難しいと感じる毎日です。

平安時代の終活

テレビをつけると、新内閣の話題がほとんどです。
遁世僧のように静かな話題を視聴したいと思っていたら、NHK総合の歴史探偵という番組で、平安時代の終活というテーマでした。

 

 

うちで終活というテーマのセミナーを開催すると、檀家さんはほとんど出席はなく、この10年ほどの新しいご縁の方が多く出席されます。
檀家さんは、お寺には葬儀や法事で、親族にメンツが立つように、お寺を上げてもらうことを希求されるわけで、終活などとお伝えしても余計なお世話だと認識されています。

平安時代には末法思想というものがあり、1052年からこの世は仏様の教えが衰退して、社会が乱れていくという不安が蔓延していました。

この世で不幸な人生を歩んだとしても、極楽浄土に往生できると希求される浄土教の教えが広まりました。宇治市の平等院は極楽浄土をイメージして、いまここに極楽浄土があることを、藤原頼通は伝えたかったのではと思います。

恵心僧都(番組では源信)は往生要集を記して、地獄の恐ろしさや極楽浄土の素晴らしさを説かれ、往生するためには念仏をするなどの行を実践することが大切であると説かれたようです。

地獄などというものがあるかないかはわかりません。ただ日頃の積み重ねで、地獄にも極楽にもなります。
放漫な生活を送っていて、後継者がそのツケを払うことも多くあります。「先代が全部建物を直しておいてくれたから、俺の代では大丈夫だよ。」とおっしゃっていた高僧の後継者は、多いに悩んでおられるます。

平安時代は先行き不明で、天皇や貴族や庶民がみんな悩んでいたのではないでしょうか。令和の時代では家庭環境の変化や労働環境の変化や物価高騰で、先行き不明です。

成るように成るのではなく、後顧の憂いを和らげていくために、仏教の教えを読み取って、終活を進めていく必要があると思います。

無事

南門の前の狭い駐車場に車が止まっていました。
どなたかと思い見に行くと、本堂前でお経を上げておられました。納骨堂会員の方でしたので、本堂内にお通しして納骨堂前でお参りいただきました。

 

 

母と同い年で、「お母さん元気かな。」と聞かれて、「元気ですよ。今日大腸検診で、いま外出せずに参籠しています。」とお答えしていました。
近所のお寺でペットの納骨をされたようで、「こちらでできないのか?」というご質問等がありました。「住宅密集地で近所の兼ね合いで今は考えていません。」とお答えしました。

競合するのではなく、分業していくのが望ましいと考えております。

その後、母を病院に連れて行って、異常なく無事に終わって安心して帰ってきました。

帰宅して岐阜県仏教会の会報を読むと、30年来の法友が保護司として社会貢献されている様子を拝見しました。

ベージュの法衣

臨済宗のお寺では、10月5日の達磨さんのご命日に冬衣へ衣替えをする慣わしになっているのですが、まだまだ暑くてとても衣替えできません。

20日を過ぎて寒くなってきて、ようやく衣替えをしました。

禅寺では、紫色の法衣で、自坊や檀家さんのお宅の法要で導師を務めることが誉れとされています。

私が20歳で住職になり、24歳で晋山式を上げた時には、まだ紫色の法衣を着用できず、ベージュの法衣を着用して導師を務めました。

晋山式の前日に、東京から晋山式に出席するためにお越しくださった大学時代の同級生に、「明日の晋山式では紫衣を着れないから、ユニクロで紫色のシャツを買っていま着ているよ。」と話していました。

紫衣が着られるようになったのは、6年前です。私は紫衣はあまり似合わないので、ベージュの法衣を着用しています。
横田南嶺老師は、ベージュの法衣で法話をされるので、私も模倣するように、ベージュの法衣で法話や導師を務めています。

色にこだわらず、穏やかな心で仏法を説いていきたいと思います。

四十九日法要

午後からは、初めてのお客さまのお宅の四十九日法要でした。
法要をお願いしたいと、複数のお寺に電話をされたようですが、お断りされたようで、最後に電話されたお寺がうちであったようです。

故人のお人柄をお聞きして、お経を上げて、その後30分ほどお話しをしていました。
以前に学んだグリーフケアでの学びもあり、お聞きすることができました。講師をされていた方には足元にも及びませんが、少しでもお心が軽くなってお帰りいただけたかと思います。

報恩講

父の命日が近づいて、秋が深まってくると、ご近所の真宗のお寺では報恩講が始まります。
報恩講とは、親鸞聖人のご命日の近くに僧侶と門徒さんが一体となって、ご遺徳を偲んで、み教えを後世に継承していくものと認識しております。

うちの近所では、おとりこしと言って、一族で報恩講をお勤めされる慣わしがあるようです。

これほどの信仰の篤さと、連帯感の強さは、臨済宗の道人ではかなわないと思います。
模倣しようと思ってもかなわぬことで、少しでも布教を磨いていくことが大切です。

ご近所の真宗のお寺が、11月の初旬に報恩講をお勤めされるようで、うちの北口の前にある選挙看板に案内のポスターが掲示されていました。信仰の篤い門徒さんが貼られたのでしょう。

ポスターを止めたテープが取れたのか、今にも外れかけています。

2年ほど前に、ポスターが外れて、うちの敷地内に入ってきました。こちらのお寺に電話して坊守さんにお伝えすると、「捨てておいてください。」と言われてキョトンとしました。

門徒さんに伝わっているから、破棄してもいいというお考えのようでした。

貼られた門徒さんのお気持ちやいかにと思います。

東寺

石清水八幡宮をお参りした後、京都駅近くの東寺をお参りさせていただきました。


東寺は今から1200年ほどに建立されたお寺で、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が開山となって成立したようです。
広い境内をぐるりと回って、多くの仏様や弘法大師に手を合わせました。
時の流れがゆったりとしているようでした。

父母よりも年上の私の修行同期の和尚が、若い頃からこの辺りで遊んでいたことをよく聞いておりました。
昔から因縁の深い弘法大師の足跡や、道友の足跡を辿ることができました。

弘法大師は、この地と高野山を行き来されていたのかと考えていました。

石清水八幡宮

円福寺からの帰り道に、石清水八幡宮までお参りしてきました。
ケーブルカーで山頂に登って、本殿にお参りしました。


八幡太郎源義家がこちらで元服したという話しを、子ども向けの歴史マンガで読んだのは38年ほど前です。
その後、幕末の時期に、攘夷の命を下すために、孝明天皇から太刀を徳川家茂に下賜するという話しを、司馬遼太郎さんの小説で読んだことがあります。これは実現したのかはわかりません。

歴史的な意義の深い石清水八幡宮にお参りできて、感慨深い思いでした。祖父の作った家系図には、清和源氏につながると書かれていたのですが、どこまで根拠があるのかわかりません。

こじつけに近いのですが、源氏の血を引くと伝えられてきたも者として、御祭神にお参りさせていただきました。

円福寺

京都市八幡市にある円福寺は、臨済宗の修行道場があることは、30年前から聞いていましたが、足を踏み入れるには勇気のいることです。

普段は拝観できないようですが、年に2回の万人講という催しがあることを、こちらで修行された法友からお聞きして、お参りさせていただきました。

 

 

車がないと行けないような山の中にありました。樟葉駅から直通バスで、円福寺の門前まで行きました。参道には出店があり、賑やかでした。

順路を辿っていくと、禅堂がありました。禅堂は坐禅をする所です。こちらが広くてびっくりしました。文殊菩薩をお祀りすることが多いと認識していたのですが、達磨大師がお祀りされていました。

 

 

こちらで受付をされている方に、京都市の草木兵助法衣店の社長さんがいらっしゃいました。「よくお会いしますね。」とご挨拶しました。

本堂へ向かうと、清水寺の森清範貫主が法話をされていました。大きな拍手が起きていました。本堂にはエアコンがあり、快適な法要ができる空間でした。

花園禅塾の桐野塾頭にご挨拶して、客殿で斎座をいただきました。おいしくいただきました。

 

 

広い空間をくまなく掃除の手が行き届いていました。
門を出ようとすると、聖宝寺の中井 泰山ご住職がテキパキと動いていらっしゃいました。

こちらで修行された和尚さんや、雲水さんや、檀信徒や地域の方の連携でスムーズに進んでいて、お手本を拝見することができました。

甥っ子の成長

弟一家がうちまで遊びに来てくれました。万博のおみやげで、ミャクミャクを持って来てくれました。

 

 

ちょうど法事の後で、お墓の前でお経を上げる所にやって来たもので、2人の甥っ子をお墓に連れて、一緒にお参りしました。
もちろんお客様にお断りしたのですが、皆さんニコニコしておられました。お経が終わった時に、2人に「手を合わせなさい。」と指示をしました。
接遇なんてものはできませんが、私よりもにっこりして、お客様は喜んでくださいました。

 

 

その後、長男坊は明日の学校でのテストの特訓があるというので、次男坊を私の部屋に連れていって、パソコンを使わせていました。
私はゲームはしませんが、彼は器用に操作していました。伯父に似ることなく物覚えが早くて、私も飽きることなく、助手席に座っているようにパソコンの操作を見ていました。

休憩をしていると、京都の檀家さんがお越しになりました。甥っ子を連れていくと、70年も前からうちを知る高齢女性は喜んでおられました。
「一緒にお経を上げなさい。」と経本を渡したのですが、すやすやと眠りました。
これは伯父によく似ています。

 

 

信心のことばで、空を「そらではなく、くうと言うんだね。」と言っていました。空の意味を理解するには、これから20年はかかるでしょうが、成長が楽しみです。

おじさんの心が若くなっていきます。