建物の普請

10月の半ばを過ぎると、気候不順で体調を崩したり、心が落ち着かないことがあります。

ゆったりと樹木葬墓地を眺めて、心身を落ち着けています。

39年前のことです。当時はご近所の真宗のお寺をまねて、お彼岸の頃に永代経という行事をしていました。

父も祖父も亡くなって、祖母や母は僧籍はなく、得度をした私と弟だけではお経を上げるわけにもいかず、ご近所の華渓寺の先代和尚さまに導師をお願いしていました。

当時ぼろぼろだった本堂をご覧になって、「キミが本堂を直していかないといけないんだ。そのためには、お布施を小遣いにしてはいけないんだよ。」とご指導がありました。

現代の価値観では、前半は子どもに価値観を押し付けると批判されることでしょう。後半は、お布施はお寺の会計に入れて給料で受け取るので、間違いありません。

しかし、そのおかげで、ぼろぼろの本堂や庫裡の修復が達成できたわけで、子どもには劇薬であったことが、何十年経って利き目が出てくることもあるのです。

ご近所でも、「本堂が傾いてどうしよう。」という悩みを道友から聞きます。
「檀家が少ないのに、大きな本堂を修復してどうする。」と批判した和尚さんの後継者が悩んでいるので、先のことを見通すことは、どれだけ修行を積んでも難しいものです。

私は、「幸せな家庭に恵まれず、自分も幸せをつかむことはできなかったけど、建物の普請にだけは運に恵まれたよ。」と道友に話しています。

運命論者ではないのですが、運に左右されることを感じます。

暗中模索

夕方6時の鐘を鳴らして、樹木葬墓地の掃除をしていました。

 

日が暮れるのが早くなりました。ライトがあるので暗くても掃除ができます。落ち葉を掃き取ってきれいになりました。

部屋に戻ってテレビを観ると、大法寺の長谷雄ご住職が出演されていました。樹木葬墓地を始める前に、見学させていただきました。偵察するほどの眼力もなく、ご住職のパワーをいただき、暗中模索の中で無事に船出ができました。

 

交通事故の影響で、心がもやもやしていた時、縁切りのご祈願をお願いに上がりました。おかげさまで、心が晴れやかになって、病も消えていき元気になりました。

今も定期的にお邪魔してパワーをいただいています。惜しみなくご教示いただき感謝しております。

テレビニュースで取り上げられるほどのご人徳で、多くの人を安心に導いておられます。

私も見習って、多くの人を教化していきたいと思います。
その後、長谷雄ご住職と生年月日がまったく同じ修行同期の和尚と電話で話していました。この世は不思議な縁でつながっています。

花園大学 講義

昨日は花園大学の公開講座に出席して、小川太龍教授のご講義を聴講してきました。
小川教授とは、17年前の妙心寺での高等布教講習会でご一緒しました。小川教授のご法話を聴いているうちに、圧倒されたことを思い出します。

臨済宗の修行道場である僧堂の組織構成と修行の意義についてのご講義でした。

私は29年前の20歳になる歳に、犬山市の瑞泉寺の僧堂に入門したのですが、僧堂の組織のことも知らずに入って、よく持続できたものです。これも道友のおかげです。
もう少し、僧堂の組織や毎日のことを知ってから入門すればよかったと思うのですが、これからは後世に伝えて行くために学びます。

 

 

こんなことがありました。襖越しに、老師と知客(しか 僧堂の部屋頭で来客の担当者)さんが、話しているのを耳にしました。知客さんは「一寛は上の者と下の者との関係のバランスがまったくわかっていないんですよ。」と言うと、老師は、「あいつは、そういう上下関係がわからずに来たのだな。困ったものだ。」と対話しておられました。

そうして長い年月が経ったのですが、「何のために修行したのか。」「生家の寺を継ぐためです。」「檀家10軒しかないのに気の毒」と犬山市や岐阜市近辺で言われたものです。
地元では、「オレは僧堂に行きたかったけど、生家のお寺にお金を入れないといけなかったので、僧堂にいかず、教職についた。」と先達がおっしゃって、近所の方は、老師さんと校長先生を務めた和尚さんとどちらが偉いのかわからないものでした。

このような認識を改めて行くために、小川教授のご講義は大変に勉強になりました。
「上求菩提、下々衆生」と、「常に仏様の悟りの深化を目指して、生きとし生けるものを救う。」ために修行があるのです。
私の29年前のように、世間体のために人身御供になるのではなく、修行で学んだものを自分で咀嚼して、多くの方々にお伝えしてお役に立てていくのが大切なのです。

今では修行に行くことは難しいので、毎日のYouTubeで横田南嶺老師のご法話をお聴きしています。京都や鎌倉や東京まで出向いて、横田老師のお話しをお聴きして、熱心すぎると呆れられています。

人生の折り返し地点を過ぎて、ようやく気づくことができました。

講義でありましたが、達磨さんがおっしゃったという「直指人心、見性成仏 (じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)」は達磨さんがおっしゃったのではなく、300年後の黄檗希運禅師の頃に達磨さんのお言葉とされた後付けであるようです。

僧堂にいる時、「老師がこうおっしゃった。」と聞いて、本当かなと思ったものです。20年ほど前、妙心寺派の大垣市近辺のエリアの長が、「本山はこう言っとる。」とおっしゃったものですが、デタラメであり、月刊住職の記事をお見せしたら、怒っておられました。

仏教の教えは伝言ゲームのようなもので、しかるべき所で学んで、正確な知識を得ていくのが大切なのです。

夕食時にテレビをつけると、徳川家康の遺訓があり、岡崎市の小学校では児童がそらんじられると放映されていました。

「人の一生は重荷を負うて」の遺訓は、家康が遺したとは言い難く後世の後付けの可能性が高いのです。これを公立小学校で暗唱されるのはいかがなものかと思います。

後付けの情報ではなく、根拠のある古人の教えを継承していくべきであると思いました。

東本願寺 参拝

花園大学で小川教授の講義を受講してから、東本願寺へ向かいお参りさせていただきました。

 

地元の大垣市や神戸町付近には、真宗大谷派のお寺が多く、お経と言えば正信偈がメジャーであり、子どもの頃から肩身の狭い思いでいました。
今から28年前に、東本願寺で、夏休み子ども研修会が開催されたようですが、仲間外れにされて声をかけてもらえませんでした。

 

それでいて、相互理解ができていたのかと言えば、あまりできていませんでした。禅宗系は、「俺らは厳しい修行を積んだ。」と思い、真宗系は、「俺らのほうが、法を説いて布教をしている。」というマウント合戦のようなものもあった気がします。

 

12年前から、未来の住職塾へ行って、いろんな宗派のご僧侶と交流して、お互いのよいところを取り入れて、布教をしてお寺を守っていこうという思いが強くなりました。寺報やホームページやらで広報をして、教えの違いを超えて活動していくという転換点がありました。

いろんな宗派のお寺へ行って、荘厳の違いやお経の節の違いを見聞きして、自分のお寺で活かしています。

東本願寺へは10年ぶりのお参りでした。多くの人がお参りされて外国人の方も多くおられました。阿弥陀さまや親鸞聖人の真前でじっとお参りされていました。

収骨法要が行われていて、5人ほどのご僧侶がお経を上げておられました。私がいたら、お経のテンポやリズムが悪いと出仕させてもらえないと思います。

 

職員のご僧侶に質問をしました。「阿弥陀堂の前机は五具足で、御影堂の前机は三具足でどういう言われがありますか。妙心寺の大方丈の前机は三具足でした。」とお尋ねすると、答えにくい質問だったようでした。
多くの信仰を集めて、職員のご僧侶が丁寧に接遇されていました。

 

先日の妙心寺でも職員のご僧侶が丁寧に接遇されていました。京都の本山のおもてなしを見習うことが多くあります。

ただ、妙心寺でも「マイクの調子が良くないようですね。」などと言っていたものです。カスハラではなく六波羅蜜の実践ができるように心がけます。

父がどこへ行ったのか。

10月になると、10日は祖母の命日、24日は父の命日、30日は曾祖父の命日と、血縁者の命日が続きます。境内の墓地には金木犀が咲いて、よい香りが漂っています。

 

40年前に、父が前触れもなく冷たくなって帰宅したもので、その時のことが今でもフラッシュバックのように蘇ってきます。当時は、グリーフケアなどという言葉がなかったもので、自死者の息子と冷たい視線で見られたものです。

「父はどこへ行ったのか。」と祖母に尋ねてもろくな答えが返ってくることはありません。
「お寺を守っていって、父がどこへ行くのか知ることができる。」と小僧の真似事をして、若君のようにお経を読みに行きました。

修行をしても、父がどこへ行ったのか気づくことはできませんでした。住職になっても行事作法にこだわって、自分の心を穏やかにはできませんでした。

横田南嶺老師に10年前にお会いして、お説教を聴聞するようになって、ようやくうっすらと見えてきました。父はすぐ目の前にいるのです。

 

 

円覚寺の2代前の、朝比奈宗源老師は、幼少期にご両親を亡くされて、ご両親はどこへいかれたのかを知りたいと仏門に入られたようです。長く修行を積まれて、「私たちは、仏心という広い海に浮かぶものである。」と説かれました。

遠い所に行ったわけでもなく、いつも身近にいてくれるわけです。お寺の境内にある父や祖母のお墓に行くと、いつもお小言を言われているようです。
ゆったりと見守ってくれて、感謝の気持ちが湧いてきます。

横田南嶺老師のお話しをお聴きして、臨済宗の僧侶であったことをうれしく思います。また高校の時にお世話になった先生は、朝比奈宗源老師のもとで修行されて、お寺には朝比奈老師の賛辞がありました。

 

仏心の大海に浮かんでいて、ご縁がつながっていてありがたい思いです。

これから毎月、東京の麟祥院での勉強会でお目にかかるので、研鑽を積んでいきたいです。

 

キティーちゃん新幹線

大阪府堺市まで四十九日の法要に向かう途中です。
新大阪駅は混み合っています。万博の閉幕が近づいているからでしょうか。

新幹線のホームを降りると、キティーちゃん柄の新幹線車両が止まっていました。

私の他にも、スマホで写真を撮っている人がいて、館内放送で、「下がって写真を撮ってください。」と注意がありました。

新幹線も趣向を変えてみると楽しいものです。

无名会

名古屋市栄にある政秀寺で、月に一度の法話の会の无名会に出席してきました。
神戸市の祥福寺の岩村宗昂老師は、新幹線を降りられてから地下鉄を乗り継いでお越しになるので、山門前でお出迎えしました。

 

 

今日の講義は、十牛図の第4の「得牛」の章でした。
「危険極まりない山中で、牛を見つけて、思い通りにコントロールできたと思ったら、思い通りにいかずに牛は暴れ回るので、うまく飼い慣らしていかなくてはならない。」というストーリーです。

岩村老師は、盤珪禅師の不生の仏心をたとえに挙げられて、「執着が多くなって行くと野生の牛になってしまう。」と説かれました。そして、煩悩妄想の中をどう生きて行くのかが問われると説かれました。

 

 

私も17年前に、法話ができると思いましたが、うまくいかずに、心を病んで暴れ回る牛のようにオロオロしたものです。政秀寺の近くのお店に、ふらふらと入っていき、愚痴っていたものです。
その時に、自分の心の中の牛を飼い慣らしていれば、もっと早くに見性に近付いていたかもしれません。

そんな思いが心をさえぎる中、人混みの中の栄の街を歩いて、地下鉄の駅に向かいました。

掲示板

しばらくの間、掲示板のポスターを貼り替えていなかったので、日が暮れてから秋のポスターに張り替えました。

道ゆく人が穏やかな気持ちになっていただき、安心をもたらすことができればと思います。

夕暮れ時の庭掃除

大本山妙心寺へお参りした功徳があったのか、今日は穏やかな気分で過ごすことができました。

夕暮れ時になると、庭掃除をし始めるのがよくない習慣です。終わった時には、すっかり日が暮れていました。

 

 

落ち葉がたくさんあり、掃き取っていました。明日は祖母の命日で、お墓参りをします。13年経っても、まだ近くにいるように思うのは不思議なものです。

祖母が腰を屈めて掃除をしていたので、今になって進んで手足を動かしています。では、次世代に継承するにはどうすればいいかと思います。AIなどとたやすく考えますが、まずはこまめにブログを更新していくしかありませんね。

妙心寺 団体参拝

京都市の妙心寺への団体参拝で、朝早くに集合してバスで向かいました。
途中、大津サービスエリアでうちの檀家さんが、転んでケガをして、妙心寺に到着したら病院に行くというアクシデントがありましたが、皆様のご助力のおかげで無事に参拝することができました。

 

菩提寺の住職としては、いつ病院から呼び出されてもいいように、大方丈の外の縁側で法要の時間もお参りしていました。妙心寺の職員さんが不思議な顔をされていましたが、「緊急時に備えてビンズルさんのように室外でお参りしています。」とお答えしたのですが、伝わったかどうかわかりません。

 

 

その後、妙心寺の塔頭寺院である天授院をお参りしました。こちらは、臨済宗の中でも厳しいと有名な妙心僧堂のあるお寺で、普段は立ち入りができませんが、遠忌ということで特別に参拝することができました。

その後、大方丈で精進料理を頂いて、法堂(はっとう)をお参りして、休息場である花園会館に行きました。そちらで、経本を購入して、宗務本所にご挨拶に行きました。

幼い頃から、祖父母に連れられてお参りに行き、「管長さまはどちらにいらっしゃるの。」と言っていたものですが、行くたびに信心が深まっていきます。老いるまでお参りは続いていきます。