大垣市桧町の瑞雲寺の大般若会にお参りさせていただきました。

こちらのお寺は、39年ほど前からお参りしていました。
先代の辻大雄和尚さまは、下呂市の禅昌寺の門前でお生まれになって、禅昌寺で小僧生活、美濃加茂市の正眼寺で修行されて、檀家の多くないこのお寺に入寺されて、地域住民のご協力を得て、本堂 鐘楼 庫裡を新築されたとお聞きしています。

今のご住職は、ご師父から道場の雰囲気を学んで、地域に貢献しておられます。
白隠禅師が逗留されて、「古人刻苦光明必盛大也」という書籍の一句をご覧になって奮起されたようです。

地域住民の方々が多くお参りされていました。
白隠禅師の先達に盤珪禅師という高僧がおられます。盤珪禅師は、「不生の仏心」を説かれて、「ありのままの心」が尊いとされました。その後、100年近く経って白隠禅師は盤珪禅師の教えを批判的に継承されて、「人の心は叱咤激励しないと怠惰になる。」と説かれたようです。
どちらがいいかというものでなく、時代背景によって変わってくるのではないでしょうか。昭和後期から平成初期までの安定して、頑張ればやっていけた時代なら、ありのままの心で過ごして、令和時代の混迷の時代は、刻苦していかないと行き詰まっていくわけです。
この時代でも、シルバー民主主義といって、公的年金制度や高福祉制度に依存し過ぎる考えがあります。「国会議員や公務員が何もしてくれない。」と批判するのではなく、自分で何かしていくべきであると、白隠禅師が教えてくださるようです。
大学の先輩で、今は母校の総長の林真理子さんの小説に「下流の宴」というものがあります。「うちは中流階級だと思って過ごして、世間体を整えてきたのだが、結局のところはそうではなかった。」というストーリーです。
うちのお寺も中流階級と思って修行に行ったら、実は下流階級であったと嫌な思いをしたものです。そもそもお寺社会に中流や下流などあってはいけませんが、現実なのです。
今の時代は、ありのままの心で見つめて、しかも無理なく刻苦して生きていく時代であると思い、お寺を後にしました。
