十牛図 見牛

名古屋の栄にある政秀寺に行き、神戸市の祥福寺の岩村宗昂老師の提唱を聴聞してきました。
十牛図の第三にある「見牛」の章を噛み砕いて説明してくださいました。
自分の仏心や仏性を象徴する牛がどこにいるのか探し回る主人公が、ようやく牛の尻尾を発見するというストーリーを、譬え話を入れてわかりやすく伝えてくださいました。

 

 

唐の時代の禅僧である香厳智閑禅師が、道を掃除している間に瓦礫が竹に当たり、その響きを聞いて自分の心の仏心や仏性に気がついたという逸話を紹介してくださいました。

私は祖師の経験に遠く及びませんが、今から14年前に政秀寺の近くにある区役所の生活保護係に勤務していた時のことを思い出しました。
お客さんが、「オレが65歳で年金を受け取る前に死んだら、お前はどうしてくれる。」と禅問答のような質問をしかけてきました。私はとっさに「お経を読みますよ。」とお答えすると、にっこり笑っておられたものです。

公私混同と批判される回答ですが、そんなことから、自分の心の中に、牛の尻尾のような仏心や仏性がうっすらと見えてきたものです。

最後の方で、岩村老師は、「この世の極楽や地獄は自分の心の中のものである。」と説かれました。私は若かりし頃、「あなたは欲が深いから極楽へ行けない。」と区役所でお世話になった初老の男性に冗談で言ったものですが、これは仏教本来の教えからずれています。
極楽や地獄は本人の心で作り出すものであると、気づかされました。

講義の前後に、控室で老師と世間話をしていました。若かりし頃は、参禅(禅問答)の時以外に老師と対面でお話しするのことはありませんでした。歳を重ねて、牛の尻尾のような仏心や仏性が見えてきたから、老師とお話しすることができるようになったかもしれません。

お寺へ帰ると、母が「今日はどこの老師さんのお話しを聴いてきたの?」と尋ねてきます。あまりに多くの老師さんのお話しを聴くので、母は老師さんのお名前が覚えきれないようです。