春日局のお墓がある、東京都文京区湯島にある麟祥院へ行って来ました。毎月の禅語録の勉強会に、昨年よりお仲間に入れていただき、毎月通っております。

先月は、地元でお通夜があるために欠席いたしましたが、山門をくぐると凛とした雰囲気の中、エネルギーが湧いてきました。
受付で、霊梅院の柳和尚さまにご挨拶して、受付をすませて本堂に入ると、すでに満堂になっていて雰囲気に飲み込まれました。席は、一番前の横田南嶺老師と小川隆教授の間のVIP席が空いていて、緊張しながら座りました。席の真正面にストーブがあり、暖かく過ごせました。横田老師や、大乗寺の河野徹山老師はiPadを利用されていて、私もiPadを利用してノートを取っていました。
小川先生のお話しは、テンポよくわかりやすいお話しで、1時間30分があっという間に過ぎていきました。臨済宗は特定の宗祖や教義があるものではなく、どれか一つ語録を読破できたからと言って、臨済宗の教えを網羅できるわけではありません。やはり、時間をかけて広範囲に読み進めていかないと、偏っていってしまいます。
中国の宋の時代の圜悟克勤禅師と五祖法演禅師のやり取りから、当時の臨済禅を学びました。作用即性(さゆうそくしょう)という、ありのままのの日常生活を過ごすことが悟りに近づくことであるという、一派があるようです。
臨済禅の教えも、ありのまま派と叱咤激励派との政権交代や共存があるようで、時代背景によって異なるようです。

その後、横田南嶺老師の臨済録のご講義がありました。スライドを隠侍さんがセットしておられて、時代背景を感じました。
臨済禅師が三峰山の平和尚のもとへ訪ねていった時のやり取りです。「どこから来た」「黄檗から来ました。」こういうやり取りです。
「桑海くんはどこで修行したの?」「犬山市の瑞泉寺で修行しました。」というやり取りを思い出します。「瑞泉寺の老師さんはお元気かね?」という松竹寛山老師とのコミュニケーションとよく似ています。
平和尚は、黄檗禅師の弟子の臨済禅師を試したと思われます。「黄檗禅師は厳しい指導をするけれど、臨済禅師はその心を理解しているのか。」を人物チェックしたわけです。
「清霄にも住まず」という青空にも止まらないという表現したは、仲間内で伝わる表現方法です。
講義が終わって、横田南嶺老師にご挨拶に行って、新著を拝読していること、日曜説教で使われている「礼讃文」「三帰戒文」「開経偈」を拝読していることをお伝えしました。お付きの和尚さんが、鋭い目でこちらを見ておられました。お引き留めしてはいけませんね。
その後、会食があり、遠く離れたお寺の和尚さんと、「どこで修行しましたか。」「老師さんや修行仲間の和尚さんはお元気かですか?」というやり取りをしていました。
岐阜のお寺へは日帰りで戻りました。母に、「清霄院」で始まる戒名はどうかと提案しましたが、「不識(知らない)」と却下されました。父の戸籍名は一清で、祖母の戒名は「丹霄院」で始まるのでいいかと思うのですが、私の布教力が足りないようで、伝わらないようです。
