懐かしい建物

花園大学へ向かう途中、懐かしい建物の前を通りました。
26年前に、初めて導師を行なった葬儀ホールです。
京都市に檀家さんがあって、そちらの亡くなったお父さんから、「かずひろ君に引導を渡してほしい。」というご遺言がありました。当時は大学4年生でしたが、僧堂へ行って住職になっていましたので、かなり不安視されながらも導師を勤めました。

脇に瑞雲寺の高田和尚、蓮華寺の羽賀和尚、心洞寺の太田和尚についていただき、私は導師か小僧かわからない立ち位置でした。
ブルブル震えて導師をして、マイクに向かって喝と言ったり、控室に戻って観音帽子を外すように羽賀和尚さまから叱責を受けました。
無事に帰って、岐阜県に戻りました。そんな思い出が蘇ってきました。

仏教会役員会

うちのお寺で、神戸町仏教会の役員会を開催しました。

人口1万8千人の神戸町で、お寺の数は27ヶ寺あります。そのうち7割が真宗大谷派で、臨済宗妙心寺派4ヶ寺です。

圧倒的な少数派から、最年少住職が会長に選ばれるのですから、懐の深い仏教会です。

前回までの資料を照らし合わせて、資料を作成して、会議に臨みました。4人の役員のうち3人は大谷派のご住職で、敵に回せません。

無事に会議は終わり、ほっとしております。世間話で真宗のお寺の名前が出ても、ついていけるので、コミュニケーションが続きます。

住職塾に入ってから12年経ちましたが、浄土真宗のご住職との交流があったから、町内の真宗のお寺との交流がうまくいくようになりました。

安城市出身のご住職に、安城市や岡崎市の大谷派のお寺にお世話になっているとお伝えすると驚いておられました。

宗派というこだわりをなくすと、世間は広がっていくものです。

子孫のために美田を残さず。

母の日から1週間が経ちますが、弟から贈られた花はきれいに咲いています。

跡取り息子の私とサラリーマン人生を送る弟とはいろいろありましたが、今でも定期的に顔を合わせるのは、母の尽力と弟の忍耐のおかげと感謝しております。

母とこんなやり取りをしていました。母は私のお寺の拡張路線を否定はしないが、よくは思っていない様子です。

私は、「親の遺産や年金をあてにするように育てた覚えはない。」と叱ってくれるようでないと、息子は育たない。」と伝えました。

西郷隆盛は、「子孫のために美田を残さず。」と言われたそうです。美田が何かはわかりませんが、親の遺産を当てにしていても長くは続きません。自分で切り拓かないといけませんね。

新しい経本

昨日に引き続き、午前午後と法事が2件続き、慌ただしく過ごしていました。
経本は、僧侶が使う古式のものを使っていましたが、一般の方には読みづらいものです。
仏具屋に、臨済宗妙心寺派の檀信徒用の経本があったので、購入して今日から皆さまとご唱和するものに使うことになりました。

皆さまが最初から最後までご唱和くださいました。私も大きな字で読みやすかったです。

今日は30km以上離れた所からお越しくださいました。「遠く離れると微妙に作法や荘厳が異なるものですが、同じ臨済宗を信仰する者として、郷に入りては郷に従えというように、そちらの作法に従ってお経を上げさせていただきました。」とお話ししました。

離れたところから訪ねてくださり、ありがたい思いです。

曾祖父の頂相(ちんそう 肖像画)

仏壇屋さんに曾祖父の頂相(ちんそう 肖像画)の掛け軸の補修を依頼していました。
完了したので取りに行きました。
無事に補修されてほっとしています。
頂相の讃(はなむけの言葉)は後藤瑞巌老師が書かれています。祖父が無理を言える間柄だったのかもしれません。

今年は100回忌に当たり、記念の取り組みになりました。48歳で遷化したようで、今の私の年齢ですね。
布教師であったことが10年前にわかりました。常に光を当てていないと忘れ去られてしまいます。

年忌法要

午前と午後の2件の法事がありました。
午前中は31年前から檀家に入られたお家の33回忌で、午後からは昨年から永代供養墓に入られたお家の1周忌でした。
それだけ、住職人生が長いということでしょうか。修行年数は短いと前の妙心寺派管長さまからチクチク言われたものです。
長くやっていると、思わぬ縁で私を訪ねて、葬儀、法事、お墓への納骨と一連の流れを依頼されることが多くなりました。

これに人生相談や終活相談ができるようになると、お客さまがもっと多くなるかもしれません。

次の33回忌の年の32年後は82歳になっていますが、それまで元気でいないといけません。

無事終了

初めての本堂での葬儀でしたが、大きなクレームやトラブルなく無事に終わることができました。
3年前に、長谷雄 蓮華上人がご住職をされる愛知県愛西市の大法寺の本堂葬儀の取り組みを拝見して、うちのお寺でも檀家さんや墓地会員の方とご縁を深めていくために必要な取り組みと認識して、思案しておりましたが、無事に終わって安心しております。

葬儀の開式前まで、庭の草取りをして参列者と世間話をしていました。妙心寺の開山の関山慧玄禅師は、妙心寺の住職になってからも境内の草取りをしていたそうです。その横を天龍寺の開山の夢窓疎石国師は車駕で通り、夢窓国師は「これで妙心寺は安泰だ。」と語れたという逸話を思い出しました。

葬儀後は、後片付けを葬儀社さんと一緒に行い、プレイングマネージャー気取りで動いていました。

火葬場へ行き火炉の前でお経を上げていると、職員のおじさんが「早く終われ。」と露骨に嫌な顔をされていました。

その後の初七日は無事に終わり、ご喪家の皆さまは安心してお帰りになりました。

昭和後期から平成初期にかけて、葬儀が大きくなり、葬儀社さんまかせになりました。お坊さんは控室に待機して、葬儀社職員の先導されるままお経を上げることが多くありました。
20年前に私が脇僧で行った時、葬儀社職員が低姿勢で導師に打合せに行くと、「引き継ぎがなっていない。それにしてもこの弁当はまずい。御社がバックを取り過ぎているからだ。」と菩提寺住職は苦情を言っていました。
葬儀が終わると、「鳴らし物のタイミングが悪い。」と毎回のように説教部屋があり、私が槍玉に上げられていました。

私もこんなお寺社会が嫌になり、還俗も考えて、新興宗教の本を読んでいたこともあります。

偉くなり過ぎたお寺や住職の姿勢を見直して、一般の人が仏教を信仰するきっかけとなる葬儀で、わかりやすく費用のかからない、対等に住職と対話できる本堂での葬儀を進めていきます。

本堂葬儀

どうなるかと心配した初めての本堂葬儀でしたが、無事にお通夜が終わりました。
葬儀社さんの手際よい動きと機敏な気配りで、ご遺族が安心しておられました。

高齢の母は心配そうに見ておりましたが、トラブルなくほっとしておりました。

お墓を売るのではなく、その後のご縁をつなぐ仕組みを考えていましたが、ようやくトンネルがつながったようで安心しております。

本堂葬儀

縁側から庭を眺める余裕が出てきました。
昨晩に緊急の葬儀の電話があり、東京から急遽帰ってきました。

本堂で葬儀を行うご希望で、葬儀社さんに連絡したらすぐに行動してくださり、お寺へ帰ったらご遺体が本堂に安置されていました。

今朝、打ち合わせをして、トラブルなく事が運んで安心しております。

少しずつ本堂葬儀を進めていきたいと思います。

船井総研視察ツアー

船井総研の視察ツアーに参加するため、埼玉県日高市の開栄寺と東京都八王子市の妙経寺をお参りして見学させていただきました。

このツアーに参加する前に、家族からは「これ以上広げようとしてどうするの。」と呆れられたものですが、これでいいと満足しているうちにマンネリ化していき、継続できなくなってしまうことを懸念して、成功している事例を拝見してお寺を活性化できると思い参加しました。

多くのご縁を作るためには、お金をかけていいものを作ろうと励むものですが、投資額と効果が正比例するものではありません。
いかにお客さまにアプローチしてお寺にご縁を結んでいただくのかがポイントになります。
活性化しているお寺には、長年の伝統のほかにも工夫があるわけで、どう知恵を絞っていくのかが今後の分岐点になります。

移動中や帰りのバスで、先輩からのアドバイスを受けて、多くの実りを得る研修ツアーになりました。