樹木葬墓地のアジサイが咲き始めました。
今年はゆっくりの開花で、昨年に剪定し過ぎた影響かと思いましたが、アジサイは忘れずに花を咲かせてくれています。
法事が終わって外出しようと思ったら、ご見学の電話があり、ご案内させていただきました。
ご成約とお仕事の依頼があり驚いています。柔軟に対応できるようになったので、トラブルなく進めています。
ご近所の檀家のおばさんがお越しになり、世間話をしていましたが、驚いておられました。
世間話をできるようになると、ご縁が深まっていくようです。
樹木葬墓地のアジサイが咲き始めました。
今年はゆっくりの開花で、昨年に剪定し過ぎた影響かと思いましたが、アジサイは忘れずに花を咲かせてくれています。
法事が終わって外出しようと思ったら、ご見学の電話があり、ご案内させていただきました。
ご成約とお仕事の依頼があり驚いています。柔軟に対応できるようになったので、トラブルなく進めています。
ご近所の檀家のおばさんがお越しになり、世間話をしていましたが、驚いておられました。
世間話をできるようになると、ご縁が深まっていくようです。
午前中は本堂で法事がありました。
扇風機と通し風で暑さをしのぎましたが、もう少ししたらクーラーが必要になりますね。
ご焼香の仕草が、ひとりずつ異なるものですが、あれこれ言わないのがうちのお寺の流儀です。

本堂を片付けていると、26年前の本堂修復の奉加帳を見つけました。
冒頭に住職○○円と形の整わない字があります。もちろん当時22歳の私に用立てできるわけはなく、祖母が積み立てたものでした。

この頃は、祖母と母と弟と私の4人家族で、家族団欒はありましたが、寄付をお願いすることになると、険悪な雰囲気になったものです。
ご近所のお寺の住職が、当時の総代さんに、「住職一家には1,000万円拠出するように言いなさい。」とか、当時は母がカローラに乗っていましたが、「軽自動車に替えさせなさい。」と圧力をかけてきたものです。
「お寺は檀家さんのものであって、寺族は管理人である。」と祖母は言っていて、重要な意見を言おうとせずに、方針の違いで私と大喧嘩になりました。
お寺は象徴天皇制ではなく、住職が方向性を示さないと、お寺はふらふらしていきますね。

夕暮れ時に、庭の草取りをしていました。
大学生の頃、祖母が午後7時半まで畑仕事をしていて、なかなか帰宅せずに夕食が遅くなったことを思い出しました。
雨が続いた後は、草が多いことです。こんなに伸びていたかと感嘆するほどです。腰を下ろすことなく、雲水の時のように屈めずに草取りをしていました。

きれいにアジサイが咲いています。ゆっくりと咲き始めました。

今日は驚くことがありました。母の足の治療でお世話になる先生が、何と臨済宗妙心寺派の和尚さんでした。
僧堂での修行をされたのですが、兼業で守っていく家風ということで、接骨院にお勤めされているようです。
私はお寺専業でやっていくのに紆余曲折がありましたが、こちらの若い和尚さんの働きぶりを拝見するとエネルギーをいただきます。

昨日、樹木葬墓地にご見学いただいたお客様にお礼の手紙を書いております。
2時間かけてお越しくださった方に感謝の気持ちを伝えております。
10年ほど前、河野太通老師は、「ラブレターを書くと文章がうまくなる。」と説かれました。
私はラブレターというものは書いたことはありませんが、仕事でお世話になった女性に手紙を書いて、「○○さんを見習って精進する毎日です。」と率直な気持ちをお伝えしたこともありました。
メールやLINEで端的に伝えたり、スタンプを送ることもありますが、率直な気持ちをお伝えするには直筆の手紙が伝わりますね。

午前中は、遠く離れたところから樹木葬墓地のご見学がありました。
子どもの頃は同級生が訪ねてくることもありませんでしたが、インターネットが普及して、うちのお寺の良さが遠くにまで伝わるようになりました。
ご朱印をお求めになり、知らないうちにうちのお寺のことが伝わっているようです。

30年前は、小さなお寺の息子は、教員か公務員になって、それが難しいのであれば、お葬式の脇僧(鳴らし物の担当の僧侶)に呼んでもらって、教員をしていた親の年金で生活をするという、パラサイト的な生活をしていればやっていけるとされて、今の私のように目立ったことをすると、「金儲け」と指弾され、昨年もそんなことがありました。
自分の主義主張で布教をしていくには、ある程度の経済的基盤が必要なのです。
17年前に指弾されて挫折した布教を実現していき、強者の言いなりにならないようにお寺を運営していきたいと思います。

40年前に、シロという犬を飼っていましたが、父の突然の自死と祖父の危篤状態で、大垣市の母方に祖父母の家に預けられて、シロの散歩ができずに、フラストレーションで逃亡して、息を引き取りました。
シロを庭の隅に土葬したのですが、その後に何もできなかったという悔やみやグリーフが40年経過した今でも続いています。
その後、弟の家で飼っていた犬を、彼の家の近所のペット供養墓のあるお寺に埋葬したことを知り、うちのお寺で何かできないかと考えていました。
3年前からお世話になっている船井総研のセミナーでペット墓地のことを取り上げられることを知り、大阪の淀屋橋までやって来ました。

2年前にお伺いした泰聖寺の純空壮宏住職のお話しをお聴きして、うちのお寺でも何かできないかというヒントをいただきました。
私がシロに何もしてやれなかったという思いから、今後布教で皆さまの安心に向けてお役に立てればと思いました。
私が受講している向かいの会場では、インターンシップの講義が行われていました。各自パソコンを使用していて、私の若い頃よりもかなり進歩しています。
船井総研の新井さんに、「私はこのような新人研修を受けたことはありません。名刺交換でさえ、今でもぎこちなくやっています。そうそう、住職になって、修行した僧堂の犬山の瑞泉寺に行ったら、私より後に入門した人が、私に聞こえるように後輩に、「部屋に入る時は左足から入れ。」と言っていました。」とお話ししていました。その嫌味な和尚のお寺の檀家さんが、うちのお寺に逃げてくるものですから、お寺の世界は不思議な因縁に包まれています。
うちのお寺でペット墓地を展開する意義はあります。多くの段階を踏むことが必要となり、要領の悪い私では時間がかかるものです。
ゆっくりと時間をかけて進めていきたいと思います。来年50歳になるので、時間は限られています。

晴れた一日で、運転のうまくない私もゆったりとドライブしていました。
甥っ子が、「おじさんの車は小さいね。」と言うので、「おじさんはパパに遠慮して小さな車に乗るんだよ。」と言っていました。どこまで信じているかわかりません。

夕暮れ時に草取りをしていると、同じ神戸町の曹洞宗のお寺のご住職から電話がありました。
神戸町仏教会の総会の案内を郵送したのですが、そのお問い合わせでした。
実はそちらのご住職は、中学校の時の同級生でしたが、同じクラスになったことはなく、あまり会話もなかったものです。
周りが真宗のお寺の門徒の家の子ばかりで、禅宗系のお寺の子はよい扱いを受けませんでした。
彼と15分話して、またお会いしようということになりました。
午後8時からは、真宗のお寺の娘さんとのZOOM面談でした。
50歳近くなって思うのですが、宗派が違うと言って、差別したり他岸のように思うのは、執着ではないかと思います。お釈迦さまが否定されたのではないでしょうか。
宗派が異なっても協働していけば大きな力になると思います。
車が大きいとか小さいとか言っているものではないのですが、いつかは甥っ子がわかってくれるように願っています。

名古屋でのお葬式を終えてから、名古屋駅近くの接骨院に行きました。
腰が痛くて甥っ子から「おじさん腰悪いね。」と言われるほどです。
区役所勤務の頃からお世話になる接骨院で治療してもらっています。
入っていくと、某有名歌手のような風貌の坊主頭のお客さまがいらっしゃいました。院長に「お葬式の帰りですよ。」と言うと、坊主頭のお客さまは、「岐阜の和尚さんですか。」とお声をかけてくださいました。
その方は愛知県某市の臨済宗妙心寺派のお寺のご住職でした。「どこの僧堂で修行したか?誰と同期か?」と臨済宗の和尚さんの定番の挨拶をうつ伏せ状態でしました。
お帰りの時、名刺交換をしていると、そちらのお寺にも横田南嶺老師がご講演にいらっしゃることをお聴きしました。「またお声をかけるよ。」とおっしゃってお帰りになりました。
バブルの頃は繁華街やゴルフ場での名刺交換があったようです。まさか接骨院で、同業者の名刺交換をするとは不思議なものです。長生きしないといけません。

名古屋でのお葬式を終えて、大垣駅まで帰ってくると、私を見てにっこりされる初老の男性とお会いしました。
22年前に、大垣社会保険事務所で国民年金保険料の徴収(戸別訪問の取り立て)の仕事をしていた時に、課長さんでお世話になった方でした。
今は嘱託職員をされているようです。
「桑海くん。君の投稿をいつも見とるよ。」とおっしゃいました。イヤホンを着用されているので、「電話着信用ですか?」とお尋ねすると、中日ドラゴンズのナイター中継を聴いておられるようです。「中日は相変わらず弱いですね。」とお話ししていました。
22年前は、「若いのにこんな仕事をして」と呆れられていたのですが、大垣日大高校の先輩ということもあり親しくなり、残業中にアポなし訪問をしたこともありました。
今でいう個人情報保護法に抵触することもありましたが、当時はおおらかな時代であったものです。
徴収目標額を達成するために、近所のお寺の和尚さんにお願いして、口座振替を解約して、現金で受け取って目標を達成するという、今では新聞やYahooニュースで炎上するようなこともしていました。
戸別訪問先の玄関で、押し問答をして口論をしていたおじさんと、昨年にうちの樹木葬墓地のご縁がありました。
いろんな問題となる勤務をしていましたが、大らかに見守ってくださり、今でも交流があるわけで、ありがたいことです。

京都から新幹線で名古屋まで移動して、12年前から交流のある葬儀社のホールで葬儀のお経をお読みしました。

103歳の女性の葬儀で、参列される方もご高齢の方が多くおられました。見たこともない僧侶がお弔いをするもので、怪訝な顔をされていましたが、葬儀が終わるとほっとされていました。
大雨が降っていましたが、最寄りの駅から歩いて行きました。横田南嶺老師が世田谷区の三軒茶屋駅から野沢の龍雲寺まで雨の中歩いて行かれたお話しを聞いて、まねをしてみました。
もっとも、19年前に龍雲寺にお伺いした時、私はタクシーで行って、帰りは松竹寛山老師とバスで渋谷駅まで行き、「老師。東京は交通手段が普及していいですね。」などと申し上げていたものです。

生活保護の方の葬儀で、以前に区役所で生活保護の仕事をしていたことから、こちらの葬儀社でお経を上げさせていただいております。
最初のうちは、お坊さんであることを隠していましたが、生活保護を受ける人とお話ししていたら、「お兄さん、水無昭善さんに似ているね。」などと、バレてしまいました。
こちらも調子に乗って、「お経を読んであげるよ。」などと言っていたら、葬儀社さんと親しくなったという経緯です。
それより3年ほど前に、勤めていたお寺の住職から、「明日からしばらく休め。」と事実上のクビを言い渡されて、還俗(お坊さんをやめて、俗世に戻ること)も考えて、区役所勤務をすることになったのですが、思わぬところで僧侶に復帰することになりました。
「生活が苦しくなったら生活保護を受ければいい。」と勤務先の住職はおっしゃっていましたが、まさか生活保護の仕事をして戻ることになるとは、仏様の世界は不思議な引き寄せがあるものです。
