火葬費の高騰

今年の1月に東京都品川区にある東京博善の桐ヶ谷斎場を見学させていただきました。
お昼のワイドショーで、東京23区内の葬儀のことが取り上げられていました。
地方都市に比べれば高いものです。これから先、物価が上がっても賃金は上がることは少ないでしょうから、葬儀が小規模化するのは容易に推測されます。

母にこう言っています。「お母さんの葬儀は、盛大に出してあげられる。ただ私の葬儀はかなり小規模になることでしょう。」と伝えております。

葬儀をしない選択を否定しません。極端に葬儀をしない選択をするのではなく、小規模化していくことを考えていくことから始めるのが適切であるようです。

 

天台小止観

花園大学の公開講座に出席して、師茂樹先生の講義を受講してきました。
天台智顗という6世紀の中国の隋の時代の高僧が書かれた「天台小止観」という書物についてわかりやすく解説してくださいました。

18年前に、東京都世田谷区野沢にある龍雲寺に隣接する東京禅センターで、平林寺の松竹寛山老師からご講義をお聴きして以来で、懐かしさとともに、長年滞っていたトンネル工事が完了するような喜びがありました。

坐禅というと、お師匠さんや先輩から口伝で教わるもので、本来はマニュアルは必要のないものです。
臨済宗の中では、僧堂(修行道場)によって、微妙に坐禅や作法にローカルルールがあります。

天台智顗大師は、病弱であったお兄さんのために、書物にして書き遺して、後世に語り継がれる名著となったようです。
私は、横田南嶺老師のイス坐禅の解説書を拝読しました。天台小止観の理解を深めていきたいと思います。

お寺へ帰り、午後4時から、隣の檀家さんの六七日のお経を上げに行きました。
お婆さんから、「ところで、娘が大般若の意味がわからんというけど。」と質問をしてきます。若い頃なら言い返したのでしょうが、これが現実かなと思いました。

「大叔母は施餓鬼と報恩講の違いを知らなかったんだよ。これは祖父母が説明してこなかったんだね。大般若は祈祷する行事だよ。私の祈祷では気休めかもしれないけどね。今まで宗教活動ではなく惰性で動いていたんだね。これから説明していくよ。」とお話ししていました。

口伝で伝わっていると思うのですが、ことのほか伝わっていないようです。
口伝ばかりでなく、書物で伝える努力をしていかないと、ねじ曲がって伝わっていく可能性を感じる一日でした。

妙心寺

花園大学での講義を受講した後、大本山妙心寺の隣にある妙心寺派宗務本所に行って来ました。

出頭命令があったわけではなく、相談ごとがありお邪魔させていただきました。

妙心寺派は全国に広がる組織ですが、口伝で伝える古来からの習わしがあると、どうしてもローカルルールが出てきます。

こちらの職員さんが丁寧にご教示いただき感謝するばかりです。

妙心寺の南門の前を通って花園駅まで歩いて行きました。50年前に両親が初デートしたのは妙心寺であったようです。
渋すぎますが、こういう因縁で私も足しげく妙心寺まで通います。

旧友からの感想文

大源寺だより第22号を、横浜市に住む大学時代から30年来の友人にお送りしたところ、次のように感想をいただきました。

以下引用
「おはようございます。大源寺だより拝読させて、いただきました。分かりやすいというよりも、深い意味で、良いなぁ。五臓六腑にストンと落ちました。これからも、楽しみに待ってます。ありがとうございます(ありがとう)」

11年前の創刊時はさえない顔をされたのですが、旧友からのありがたい賛辞に感謝するばかりです。
彼には、25年前の晋山式にもお越しいただき、長年お世話になっております。

巨福

先日、東京の麟祥院での勉強会の後に、建長寺派の高井和尚さまからいただいた巨福という小冊子を拝読しております。

和尚さん向けなのか、やや難しい内容です。
臨済宗は14派あるのですが、相互に交流していて否定や批判はありません。どの派も白隠さんの教えで現代に継承されていて、違う角度から臨済禅を学ぶことができます。

ガーベラの花

玄関前に咲くガーベラは昭和46年(1971年)に、母が短大を卒業して愛知県一宮市の小学校に就職した時から冬になると咲きます。
私が生まれる5年前から生息して、嫁いで私を出産した年からこの地で咲いているようです。

昭和60年(1985年)に父が自死してからも、祖父母の引き留めで、母と弟と私の3人は留まることになり、40年経ってようやく映えてきました。

長くいたからこそ、こうして後世に語っていくシンボルとなりました。これからも語り継いでいき守っていきたいと思います。

最後の一枚

もみじの葉が残りわずかとなりました。

アメリカの小説に「最後の一枚の葉」があります。
肺炎で死を覚悟した若い画家ジェンシーが、窓から見えるツタの葉がすべて散ったら、自分も死ぬと信じていたのですが、隣の老画家ベアマンが嵐の晩に、最後の一枚の絵を描き足したので、ジェンシーは生きる気力を取り戻したというストーリーを思い出しました。

老画家ベアマンの尽力により、若い画家ジェンシーの気力を戻していく感動的なストーリーです。

今では科学的エビデンスがないと一笑に付すことが多いのですが、この世の出来事は人の心や気配りで構成されていくことを教えてくれます。

樹木葬墓地は、自然の摂理と人の心が調和した空間なのです。

「コスパがいい。」とか「ご住職はお経だけ読んでくださればいい。」と営利企業の方がおっしゃるのはビジネスの理にはかなっています。安心が伝わっていくのかは首をかしげます。

亀岡市

亀岡市での葬儀を終えて、寄り道なく家路につきました。
こちらには初めての訪問でしたが、京都から30分足らずで行き来できるエリアでした。もともと豪農がおられた所に、新興住宅地が整備されたようです。

喪主さまとご挨拶して、ご戒名を説明しました。葬儀は持ち時間を5分オーバーして45分で終わりました。

火葬場への移動の間、タクシーの運転手さんとお話ししていました。京都府は保守的な岐阜県と違い、割と革新よりのお考えの市民が多くおられるようです。

岐阜県ではお寺やお坊さんが好きでなくても、面従腹背とばかりに、とりあえず立ててくださるのですが、京都府ではダメ出しをされるような土地柄であるようです。

うちのお寺も京都市にお住まいの檀家さんがいらっしゃるのですが、私が22歳の時に葬儀をさせていただいた時は、文化の違いに驚きました。

京都府政は、28年間の蜷川知事の後の林田知事で、ガラッと変わったことを聴いたことがあります。「野中広務さんは迫力があった。今の西脇知事は、演説が聞き取れない。」とタクシーの運転手さんは語っておられました。

49年も生きてくると、タクシーの運転手さんや地元の方々から地域事情をリサーチすることができます。

朱雀門の跡

宿泊先のホテルから二条駅に向かう途中、朱雀門の跡という石碑を見つけました。
1211年に倒壊して以来再建されていないようです。


摂関政治から武家政治に以降した頃で、公家の財力が低下したこともあるようです。
京都の街を歩くことはあまりなかったので、新しい発見がありました。
これから亀岡までご葬儀に向かいます。

漢詩作成講座

京都の花園大学にある禅文化研究所で、漢詩作成講座を受講します。
祖父は漢文の教員で、私も愛着はあったのですが、住職になっても役所での二足のわらじで生計を立てることがよしとされて、漢文を学ぶことはありませんでした。

長年の苦節を経て、住職一本で生計を立てるようになり、長年の望みであった漢詩作成講座を受講することができました。

明日は亀岡市で葬儀があり、出張が続きますが、腰の痛みをこらえてお仕事をしてきます。