円覚寺

鎌倉の円覚寺まで行き、禅文化研究所の勉強会に参加してきました。

 

 

禅の修行は己事究明と言いますが、私は小さなお寺を継いで、お葬式や法事や年中行事のお経を上げて、平日は他の仕事をしていればいいと、片手間の跡取り息子として育ちました。
修行道場には行きましたが、短い期間で終わり、資格を取るだけのもので、坐禅や老師の提唱の時は居眠りをよくしていました。

 

 

お寺専業で毎日を過ごすようになり、軌道修正をしていかなければと危機感がありました。もう一度修行に行きたいと思いますが、仕事を増やして年老いた母に留守番を任せることもできず、YouTubeでいつも法話を発信される横田南嶺老師が指導をされる円覚寺で、禅文化研究所の勉強会があることを知り、いざ鎌倉と御家人のように馳せ参じました。

 

 

最初は平林寺の松竹寛山老師の坐禅指導がありました。29年前の雲水時代は、何も知らずに無鉄砲に入門して、坐禅をしようにも居眠り常習犯でした。松竹老師からストレッチや軟酥の法を学び、苦痛と忍耐の坐禅を変えていくことができそうです。駒沢大学の小川隆先生の禅語録の講義は卓越でした。臨済録は臨済宗の教えのバイブルのように認識していましたが、実は世間話のように臨済禅師と弟子のやり取りをまとめたようなものです。「けなしてほめる。」と若い頃から教わったものですが、臨済禅師も喝とけなしているようでほめているやり取りが多くありました。

 

 

区役所勤務の時、年上の女性職員がおニューの真っ赤な服を着ていて、「ダルマさんみたいですね。」と言ったら烈火の如く怒られました。「尊いお方ということですよ。」と言い訳をしましたが、臨済禅師のようにはいかなかったものです。

 

その後、横田南嶺老師の提唱がありました。提唱とは、老師が高い演台から修行僧に向けて禅語録を説いていくものです。私は若い時は居眠り常習犯でしたし、内容もわからずメモを取ることもできず退屈な時間でした。
横田老師は半眼でスラスラと臨済録の一節を説かれて、迫力がありました。

小川教授が司会で2人の老師との鼎談では、松竹老師がお若い頃に吃音で苦労されて悩まれたお話しをお聴きしました。

松竹老師とお会いしてから19年が経ちます。私が修行道場に入門したのは19歳の時で不思議な因縁を感じます。

私は怒られないように嫌われるないようにして修行生活を過ごしましたが、後から入った人に、「楽して住職になった。」と嘲笑されて、「要領のいい人がいい。」と不器用で手際の悪い私を否定されたものです。

円覚寺まで伺って禅僧であったことをよかったと思いました。また実践第一の禅修行と言いますが、訳もわからないうちに修行や布教をすることは、曲解して間違った教えを伝えてしまう危険があると思いました。

何事も完成したと思ったら、また更新していく必要があると思いました。