午前10時から、うちの近所の町営ホールで葬儀の導師を務めさせていただきました。
導師というと偉そうに聞こえますが、舞台のセンターにいるようで、緊張します。
事前に会場で、JA葬祭の職員さんと打ち合わせして導師の役割を進めました。
新しい取り組みとして、葬儀でもお経本をお配りして、ご唱和しました。
すべてのお経のご唱和は難しいですが、ゆっくりと声を上げて先導しました。

20年前は、鳴らし物があって、これが臨済宗の葬儀の見せ場とばかり、3人ないし6人の脇僧を従えての、まさにセンターの役目で達成感を感じる先達がおられました。
私は、脇僧で出仕して、終わると毎回のように説教部屋で嫌になったものです。まあ、これが今の糧になったところもあります。
葬儀社さんの職員に「弁当がまずい。」とか「引き継ぎをきっちりしろ。」「茶湯器(お茶とお湯の器)がない。」と、親切心もあったのでしょうが、マウントを取るために、思いつきで言われた側面もありました。
ご葬家は、葬儀を上げたいのですが、お坊さんたちのマウント合戦に巻き込まれるのに嫌気が差して、葬儀を上げない人がいるのではないでしょうか。
大きな葬儀を上げたいお宅には、そのようにお勧めすればいいのですが、小規模な葬儀をご希望の方には、シンプルでも心のこもった葬儀を上げて差し上げるべきだと思います。
家族葬であるから、お経本をご覧になって、ゆっくりお経を唱和できるのではと思います。
多くの参列者に挨拶して、お菓子や弁当がないとクレームを言われるよりもずっといいのです。
母には、「私の時は誰も葬式をしてくれる人はいないことでしょう。ただお母さんの時は盛大にやり過ぎて、弟一家や檀家さんは怒ることでしょう。」と語っています。
葬儀などは時代によって、ご家庭の栄枯盛衰によっても移行してくるものです。
私にできるのは、形式的な儀礼を強要するのではなく、導師をして安心をもたらすことです。「喝というのは、故人を叱るのではなく、安心してお向かいくださいという臨済禅師の教えです。」と、引導の時の喝の意味も説明していかないと、かえって不快に思われてしまいます。
