東京の芝にある仏教伝道会館へ行き、寺院デザインの薄井 秀夫さんが主宰される葬式仏教価値向上委員会の勉強会に出席してきました。
今日の講師は、宗教情報センターの藤山みどり先生でした。

「人は亡くなってから、どこへ行く。」とは、私に課せられた一生の命題です。
7歳の時に母方の曾祖父が亡くなって、9歳の時に父が亡くなって、「亡くなった人はどこへ行くのか。」という命題を与えられました。
「よそのお寺に行かないと、キミのお寺の施餓鬼はできなくなり、お寺は成り立たない。大源寺は潰れるよ。お父さんやおじいさんは極楽に行けないよ。」と近所の和尚さんに脅迫されたものです。
実はこの言葉には誤解があり、臨済宗ではお亡くなりになった後、極楽ではなく涅槃の世界に行かれるという教えなのですが、片田舎のお寺にまで伝わっていることはありませんでした。
修行に行くと、要領よく機敏に動くことがよしとされて、動きの悪い私は戦力外で、死んだらどこへ行くのか教わったことはありませんでした。かっこいい車に乗って、ゴルフを嗜むことがよしとされて、仏様の名前より車の名前を覚えたものです。(私はゴルフはしません。)
そんなわけで、住職になってご葬儀でお経を上げて、引導をお渡ししても、この功徳が故人に届くか、故人を涅槃の世界にお導きできるのかジレンマを抱えていたものです。
今日お話しを聞いて、実際に一般の方が知りたいのは、故人がお亡くなりになった後にどこへ行くのか、生まれ変わりはあるのかということにあると知りました。
最近、直葬や家族葬が多くなり、「けしからん。」と言う意見がありますが、いろんな事情があり、仏教の宗教的な意義が伝わっていないことが原因だと思います。ろくに宗教的な意義を伝えず、クレームを言ったりしていては、「面倒だから葬式はやめておこう。家族でゆっくり偲ぼう。」ということになります。
今日の勉強会を転換点に、宗教的な意義を伝えていこうと思います。私はお経も説法もうまくありませんが、地道に伝えて行きます。
素粒子論などの科学的なお話しもありました。18年前に松原哲明和尚さまと柳澤桂子さんの対談をDVDでお聴きしたことを思い出しました。

講義後の懇親会で、お隣りの香川県の真宗興正派の88歳のご住職とお話ししていると、以前に松原哲明和尚さまが香川県のお寺までお越しになり、「親鸞聖人と信心」についてお話しをされたそうです。博学な老住職は、禅宗の六祖慧能禅師のこともご存じでした。
30年前に、大学進学を機に東京に出て来た時は、今は認知症で引退された和尚さんに、「お母さんに余計な金を使わせるドラ息子。」と批判されたものです。19年前から2年間、松原哲明和尚さまの法話勉強会に参加したことも、よくは言われませんでした。
こうして、しょっちゅう上京して、仏教の教学やお寺の経営を学んでいるのは、30年間の流れがあるからです。
松原哲明和尚さまの墓前で、元気に前向きに過ごしていることをお伝えしていきたいです。
