片手間僧侶

久しぶりに本堂の掃除をしました。
寒くて雨が降っていたのですが、若い頃に瑞泉寺の本堂を掃除した時のように、テキパキと掃除をしていました。

掃除をしていると、郵便が届きました。ダイレクトメールのほかに、某出版社から私のことを掲載してくださるというお手紙がありました。

私は住職になってからも、僧侶とサラリーマンと二刀流で生きて来ました。よく言えば「二足のわらじ」、悪くいえば「片手間僧侶、片手間サラリーマン」と批判されてきたものです。

僧侶一本で苦しい生活で生きてきた人からは、「どうして桑海が。」と思う人もいるかもしれません。

10数年前、名古屋市の栄にある中区役所で生活保護の仕事をしていた時のことです。華やかに見える街でしたが、お酒を飲んで役所の窓口に来るおじさんや、傘を振り回すおばあさんがいました。
私は年金の仕事をしていて、「65歳から年金額が増えます。」とお伝えすると、「俺は65歳まで生きられない。」と屁理屈を言われます。私は「その時はぼくがお経を上げますよ。」とお答えすると、かえってニコッとされていました。

「禅の修行はバカになること。ボケること。」と先程拝見した管長日記で横田南嶺老師が言われました。
言い負かそうとするのではなく、困っている人のためにちょっとボケて見たのがよいかもしれません。

片手間に見えてきた生き方も、意外につながっていたようです。50歳を前に認めてくださる方がいて、ありがたい思いです。