一無位の真人

月に一度の法話の会である无名会に参加してきました。
木村太邦老師の臨済録の講義を聴いてきました。
臨済禅師が「一無位の真人(いちむいのしんにん)」のことを説かれたシーンです。
「人間の身体にも、一無位の真人と言って、混じり気のない純粋な心を持つ者がいる。」と説かれます。そうすると修行者が、「そのような者はどこにいるのですか。」と尋ねると、臨済禅師は胸ぐらを掴んで修行者を罵倒します。
パワハラとも思えるやり取りの中に、「自分で感じ取るものである。人に聴く前に実践してみなさい。」との心が伝わってきます。

「純粋な心を感じ取る。」とは、わかっているようで説明となると難しいものです。帰り際、地下鉄のホームのポスターに「目覚めよ。私の○○○○○」というフレーズを見つけました。自分の中にあるものを目覚めさせることには、共通点があるのではと考えておりました。

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