禅の語録の勉強会に出席

東京都文京区湯島にある麟祥院で禅語録の勉強会があり、参加させていただきました。
いつもとは違い、湯島天満宮の方から向かいましたが、坂があって雪駄ばきでの歩行はきつかったですね。うちの近所の平らな道や堤防のほうが、どれだけ過ごしやすいかと思いました。

午後3時からの講義は、駒沢大学の小川隆教授の中国の宋代の禅の祖師の説明から始まりました。円覚寺の僧堂の新入りの雲水(修行僧)さんにわかるように、北宋と南宋の説明から始まりました。高校の世界史の授業以来。33年ぶりにお聴きしました。

大慧宗杲禅師とお師匠さんとのやり取りのストーリーの展開でした。宋代の臨済宗の中でも、中道派もあれば急進派もあったようです。「ありのままでいい」という派閥もあれば、「叱咤激励して育てるべきだ。」という派閥もあり、政権交代しながら、今に続いているようです。
当時は楊岐派もあれば、黄龍派というグループがあったようです。

一般の方から見れば、何のことかわからないことでしょう。私は、20年前に松原哲明和尚さまに教わった法話の手順で岐阜で実践していると、久司和尚さまに叱責を受けて、わけがわからない状態になりました。

そんなことがあって、臨済宗の中での路線対立があることは肌身に感じていましたが、まさか古代中国の宋代からあったとは不思議な思いです。

その後、横田南嶺老師の臨済録のご講義でした。臨済禅師が襄州の華厳和尚さまのところに行った時に、華厳和尚は居眠りをしていた逸話です。
私も修行僧時代は居眠り常習犯でしたが、古代中国の修行僧も居眠りを修行僧がいたようです。

維那(いのう)という言葉が出てきました。維那とは今では大勢の和尚さんがお経を上げる時の先導役で、アイドルグループのセンターのような役割です。当時は修行道場は指導的立場にある役職名であったようです。

講義後に横田老師に、「高野山では維那と書いてゆいなと呼ぶようです。」とお話ししていました。プロ野球のキャプテンという位置付けでしょうか。

臨済録は面白いですが、若いうちではわかりません。臨済禅師がお師匠さんの黄檗禅師に棒で叩かれるスパルタ教育を受けて、法縁の和尚さんのもとへ身を寄せます。「お前さんよ。黄檗はそんな手厚い指導をしてくれるのか。」となだめられて、黄檗禅師のもとへ戻って行きました。

うちの弟は、自分の子供に対してのしつけが厳しいのですが、私からは何も言えません。甥っ子2人は、「パパはなんであんなに厳しいの?」と私に陳情してきます。「お前たち、パパも食事作法はきれいではない。おじさんもきれいではないよ。いろいろ苦労があったから、お前たちに厳しいんだよ。」などと言っていますを、どこまで伝わっていることかわかりません。

臨済録などの語録は、古代からの禅の修行道場でのコミュニケーションをまとめたものでしょうね。当時の背景を知って、正確な理解がないと、間違った教えが後世に伝わっていく恐れがあります。