母が花を生けたところです。
お題は尋ねておりませんが、「春の訪れ」ではないかと推測しております。

「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ねる。」という禅語があります。春を感じる花があって、次第によき因縁がやってくるのです。
やがては暖かい春が訪れてきます。そんな思いを込めた生け花であるようです。
母が花を生けたところです。
お題は尋ねておりませんが、「春の訪れ」ではないかと推測しております。

「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ねる。」という禅語があります。春を感じる花があって、次第によき因縁がやってくるのです。
やがては暖かい春が訪れてきます。そんな思いを込めた生け花であるようです。
中日新聞の投書欄に、京都にある龍安寺を見学した小学生のコラムがありました。
「誰にも邪魔をされることのない自分の空間を味わうことができる。」と純粋な感性で書き示してくれます。

「誰にだってあるんだよ。人には言えない苦しみが。誰にだってあるんだよ。人には言えない悲しみが。ただ黙っているだけなんだ。言えば愚痴になるから。」とは相田みつをさんの詩です。
日頃の生活や職場の人間関係で、苦しいことや悲しいことがたくさんあります。言えないこともたくさんあります。
心のうちを明かすことができる本堂にしていきたいと願っております。

元日からの忙しい年明けでしたが、ようやく落ち着いて、本堂は元の静かな空間に戻りました。
先日「これまでは本堂を修行をする空間と捉えていました。仏さまの教えをもとに、皆さまにリラックスしていただく空間へとしてこうと思います。」と、地元のご高齢者の前でごあいさつしたところです。
一昨日の円覚寺での日曜説教で、横田南嶺老師が四弘請願文を訳しておられました。
「命あるもの皆の、苦しみ悲しみが少しでもなくなりますように。そのために、まず私のわがままな思い込みやとらわれから離れることができますように。広く教えを謙虚に学んで、命あるもの皆が、幸せに生きる世の中が実現しますように。」というきれいな詩です。
「修行を続けるうちに見えてくるものをがある。見えてきた物事をお伝えしていく空間が本堂である。」と念じて、いつでもお越しいただけるように整えております。

町内会のご高齢者の集いである「いきいきサロン」の会場となり、多くの皆さまがお集まりくださいました。

今から20年ほど前に本堂を修復するおりに、町内の皆さまにご寄付をいただきましたが、お役に立てているのか自問しておりました。
「会場に使いたい。」と町内会長からお話しがあり、喜んで引き受けさせていただきました。

内陣の仏さまをご案内しているところです。「仏さまを拝めば脳が活性化します。この機会を長寿に役立ててください。」とごあいさつさせていただきました。
弘法大師像をご覧くださる方がおられました。「弘法さんをお慕いして、高野山や四国八十八箇所を巡礼しました。満願成就したところで、主人が他界しました。不思議な因縁を感じます。」と語っておられました。
仏さまのお導きが自ずと届いたような、良縁に恵まれたイベントでした。
晴れ渡った一日でした。名残り惜しそうに雪が残っています。

年忌法要のお参りに行きました。私はお経をゆっくり読むので、1時間にわたりました。皆さまの足をしびれさせて、少し長かったのかと反省しております。
お宅に経本と扇子の忘れてしまい、名残り雪を思い起こすような法要でした。

観光ボランティアによる神戸町のお寺の初詣ツアーは、大人気であるようです。第2のツアーがお見えになりました。

ご本尊の観音さまなどの仏さまや、十六羅漢の掛け軸をご覧くださいました。
これらは、100年以上も前からずっとあったものですが、ホコリがかぶっていたり、日の当たることのない状態でした。
臨済宗妙心寺派の次期管長の小倉宗俊老師は、「門より入るは家珍にあらず。」という禅語を多用されます。「外にあるものを追い求めるのも悪くないが、家の蔵にホコリをかぶって眠っているものを磨くところに、家宝となる宝がある。」と解釈しております。
これまで近いところにいても交流のなかった皆さまに、ホコリを振り払った家珍をご覧いただき、皆さまとの仏縁を広げることとなる歴史に残る一日となりました。

先日のこと、大般若会の準備をしていると、初老の男性の訪問がありました。
「桑海さん。久しぶりだね。」と語られました。15年ほど前に、国民年金保険料の徴収の仕事をしていたときに、戸別訪問先の玄関で「年金制度はけしからん。」と1時間にわたって説教された方でした。
「お参りしたい。そして納骨堂と永代供養墓を見学したい。」ということで、ご案内させていただきました。
15年前に布教することはありませんでした。風の便りをもとに訪ねてくださるのは、ありがたいことです。

神戸町観光ボランティアによる初詣のツアーで、多くの方が足をお運びくださいました。

このお寺の歴史や仏さまの因縁のことをお話しさせていただきました。そして大源寺だよりをお渡ししました。
短い間でしたが、お寺の魅力をお伝えすることができたと思います。

その中のお一人の男性がお声をかけてくださいました。「私は、昭和49年に大垣市役所に入庁して、あなたのお父さんと同期でしたよ、」と感慨深い思いで語っておられました。
敷居の高いイメージがあったお寺が、少しずつ変わっていくようでした。

あいにくの雨の中、皆さまのご加勢をいただき、新年の大般若祈祷会を勤め上げることができました。

般若とは人間の智慧という解釈をしております。祈祷を行なうと言っても呪術をかけるのでなく、「智慧の完成を目指して生きていけば、きっとよい結果が訪れるということである。」という願いを込めて法要を進めました。

経文の中に、「80億の大菩薩がおられる。」というくだりがありました。数え切れないほどの数のたとえなのでしょう。
途方もない因縁を積み上げて行くことに、智慧の完成という「大般若」に行き着くのではと考えております。
