鐘楼前の外灯が取り付けられて、鐘楼修復工事が完了しました。
皆さまのおかげで無事に終わりました。感謝申し上げます。
ご近所の皆さまには、土日も工事を続行してご迷惑をおかけしました。
これから次の100年に向けて、雨にも風にも揺れにも負けず、時を刻んで行きたいという願いでおります。

鐘楼前の外灯が取り付けられて、鐘楼修復工事が完了しました。
皆さまのおかげで無事に終わりました。感謝申し上げます。
ご近所の皆さまには、土日も工事を続行してご迷惑をおかけしました。
これから次の100年に向けて、雨にも風にも揺れにも負けず、時を刻んで行きたいという願いでおります。

住職の大叔父にあたる方の葬儀に参列してきました。
10時からの葬儀からお骨上げのお勤めまで、菩提寺のご住職とお参りさせていただきました。精進落としのとき、喪主の息子さんに、昔アポなし訪問をして、故人から自転車をお借りした思い出話をしておりました。
「郷に入りては郷に従え。」とご近所や親戚で宗派の異なる家では、菩提寺のご住職に合わせて、その宗派のお経を唱和しております。今回は浄土真宗のお勤めでした。
お勤めの最後に、蓮如上人の御文の「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。」とのくだりをお聴きしました。仏さまの光を受けて、遺された親族がいかに生きていくのかという蓮如上人の教えが伝わってきました。


お寺の庫裡は、昔の農家の作りということもあり、どこからともなくコオロギが入ってきました。
止まることなく鳴き声が響きわたっております。
残暑きびしい毎日ですが、秋の訪れを知らせる「虫の知らせ」でしょうか。
コオロギの声をお聴きください。
住職は大叔父の臨終に立ち会っておりました。
僧侶として儀礼を行なうことは慣れていても、生死の境に立ち会うことは辛いものです。
病院の待合室に、相田みつをさんの詩がありました。
何をすることができなくても、辛くて苦しくて泣きたい思いを、そのまま受け止めることが大切であるようです。

装いを新たにした鐘楼は、お寺の境内ばかりでなくご近所の風景に馴染んでおります。
目立とうとするのではなく、調和を大切にする仏さまの教えを象徴するかのようです。
住職も次をあせらず、「一休み」また「一寛ぎ(ひとくつろぎ)」とのんびりしております。


岐阜県の西濃地方の習わしとして、お盆の時季に墓前に紅白の提灯をお供えします。どのような意味合いがあるのかを考えておりました。
集落の墓地があるところは、戦前は土葬がされて、「三昧 (さんまい)」とお呼びしました。。三昧とは、元は「精神集中の境地になりきる。」ということで、転じて亡くなってからの境地のことを指すようになったようです。三昧の正面には六地蔵さんが、見守っておられます。
お盆の間だけは、「三昧の境地から戻ってきてください。」という願いを込めて、紅白の提灯でお迎えしたのではないかと推測しております。
「三昧無碍の空広く、四智円明の月さえん。」とは白隠禅師坐禅和讃の一節です。「三昧とは言っても窮屈なところでなくて、広いところにいるのですよ。」とそんな思いがあるのではと思います。

伝道掲示板のポスターを、新しいものにしたところです。
仏教の言葉はわかりにくいという印象を持たれやすいのですが、仏さまの心を詩歌を用いて、多くの皆さまにお伝えできればと考えております。

お盆の棚経(檀家さんのお宅でのお参り)を終えてほっとしております。うちの檀家さんのお宅でお参りするときは、お経の本をご覧いただいてご一緒にお読みしましょうと申し上げております。
「ご先祖さまへのご挨拶をともにしましょう。」と呼びかけると、皆さんが唱和するくださいます。お参りする親族のお声が調和してくると、ご先祖さまからの心が伝わってくるように思えてきます。
ご親族の各々の心や仕草から、故人の思い出が投影されてくるからかもしれません。
鴨居にかかる故人の遺影から、お参りくださったご親族の顔が似ているのを見ると、故人の心が継承されているかのようです。

門前の伝道掲示板の、標語を入れ替えました。
お盆でお家にご親類が集られるときに、ちょっと気にかけていきたい言葉です。
